「イサベル・ペロン」の版間の差分

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== 来歴 ==
[[ラ・リオハ州 (アルゼンチン)|ラ・リオハ州]]で六人兄弟の末っ子として生まれ、父親を早くに亡くし苦しい生活をおくりながら母親に育てられた。18歳で職業ダンサーとなり各地で巡業し、[[パナマ]]でナイトクラブで働いていた時に[[亡命]]していたペロンと知り合う。ダンサーを辞め愛人になり世界各地を転々とし、[[1961年]]に[[マドリド]]で結婚。[[スペイン]]で暮らしていたが夫のメッセンジャーとしてアルゼンチン国内のペロン党に接触し頻繁に両国を往復している。そしてペロン派の復権により夫婦でアルゼンチンに向かった。
 
1973年に大統領選挙に当選したペロンは、副大統領にイザベルを指名するが、帰国1年で病死したため、イサベルは世界初の女性大統領として就任した。最初は[[エビータ]]を意識して同じ格好をしていたがすぐに止め、社会福祉大臣の[[ホセ・ロベス・レガ]]を頼りにするようになる。イサベル政権は2年続くが、既にペロン党自体が分裂状態にあり、[[オイルショック]]によって300%を超える[[インフレーション]]に見舞われ、経済危機に立たされる。[[左翼]]テロと政治的混乱によって統治能力を失ったイザベル政権に対して、軍部はまずレガを辞任させ[[1976年]][[3月24日]]には[[ホルヘ・ラファエル・ビデラ]]将軍が[[クーデター]]を起こして権力を奪った。逮捕されたイザベルは[[横領罪]]で5年間収監された。釈放されるとスペインに帰国してひっそりと([[ボディーガード]]に囲まれてはいるが)余生を過ごしていた。