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Hideki1976 (会話 | 投稿記録)
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== 来歴 ==
=== 下積みアマチュア時代 ===
[[沖縄県立沖縄水産高等学校]]に入学後、1981年の[[全国高等学校総合体育大会ボクシング競技大会|インターハイ]]の[[ライトフライ級]]決勝戦で、青森商業の玉熊幸人(後の[[レパード玉熊]])に判定勝ちを収め優勝(同じ沖縄県代表[[平仲信明]]もウェルター級で優勝)、3年先輩で自身と同じインターハイ王者だった[[浜田剛史]]と面会。[[興南高校]]の[[金城真吉]]監督の指導も受けた。高校卒業後に[[船員]]になる予定をキャンセルし1982年に[[上原康恒]]、[[古口哲]]、[[山口圭司]]、[[三谷大和]]と並ぶ日本プロボクシング史上最高タイ記録の契約金1,000万円でプロへ転向した。
 
=== IBF世界バンタム級王座獲得 ===
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しかし1986年に、[[大腿骨]]が壊死する難病を発症し、当該部分の切除および[[人工骨]]をボルトで繋ぎ合わせるという手術を受ける。1989年にプロボクシング界に復帰。1990年1月30日にIBFインターコンチネンタル・スーパーフライ級王座決定戦に出場。ロメオ・オプリサナを12R判定勝ちし地域王者になると、同年に[[引退]]した。
 
高校時代からの友人の平仲がプロモーターたる興行で引退後は、[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]プロボクシング解説者を務めたこともあった。
 
== 戦績 ==
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== 外部リンク ==
* [http://www.boxrec.com/list_bouts.php?human_id=2941&cat=boxer BoxRecによる戦績]
 
{{Championshiptitle2-3|第5回|[[全国高等学校総合体育大会|インターハイ]]|ボクシング競技[[ライトフライ級]]|-|-|1981年}}
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{{Championshiptitle-1|初代|[[国際ボクシング連盟|IBF]]|世界[[バンタム級]]|創設|ジェフ・フェネック|1984年4月15日 - 1985年4月25日}}
 
{{日本のボクシング日本人世界王者}}
 
{{DEFAULTSORT:しんかき さとし}}
[[Category:日本のボクサー]]
 
[[Category:日本のボクサー]][[Category:バンタム級世界王者]]
 
[[Category:ボクシング解説者]]
[[Category:沖縄県出身の人物]]