「琴冠佑源正」の版間の差分

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新十両から2場所連続十両の土俵を務めた後、[[幕下]]に陥落。それ以後、幕下上位で一進一退を続けていた。平成12年([[2000年]])9月場所に東幕下5枚目で6勝1敗と大きく勝ち越し、翌11月場所は28場所ぶり、通算128場所目で十両に復帰した。同年7月場所限りで[[北勝鬨準人|北勝鬨]]が引退したため100年以上絶え間なく続いていた[[道産子]][[関取]]が姿を消していたが、1場所で復活させた。しばらく十両に定着していたが、平成14年([[2002年]])9月場所を最後に幕下に陥落した。
 
幕下でも年齢を感じさせぬ若々しさと安定した成績を残し上手い相撲を見せ、特に土俵際はしぶとく、うっちゃりなどで観客を沸かせていたが、平成18年([[2006年]])9月場所8日目の対[[勢翔太|勢]]戦、土俵上で張り手を交えた相撲に敗れ、取組後支度部屋で対戦相手をタオルを巻いた拳で殴る事件を起こしたため師匠の[[琴ノ若晴將|佐渡ヶ嶽]]より引退を勧告され、10日目に引退届を提出、この場所限りで引退した。実際には以前からこの場所を限りに引退することを決めていた。事件を起こす前の取組まで3連勝しており有終の美を飾るはずが自らの手で引退を早めてしまった。同年10月7日には[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]の[[銀座東武ホテル]]で[[断髪式]]を行った。なお、[[1993年]]9月場所から引退までの13年もの間、一度も[[三段目]]に陥落しなかった。
 
== 新十両昇進所要場所記録 ==
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== その他 ==
*[[横綱]]・[[朝青龍明徳|朝青龍]]を、幕下時代に一度(2000年1月場所)、十両時代に一度(2000年11月場所)破っている。
*一部の相撲ファンからは時々、間違って「琴カップ」と呼ばれることがあった。佐渡ヶ嶽部屋の同期生に、奇跡の復活を遂げたことで有名な[[前頭]]・[[琴別府要平|琴別府]](引退・退職)がおり、幕下の長かった琴冠佑には琴別府の付き人を務めていた時期があった。そのため、一部のファンは、一緒にいる時間の長い両力士の四股名を混同してしまった。これは、琴冠佑が北海道の新冠(にいかっぷ)町出身であることからの連想もあったも思われるが、琴冠佑本人は「『琴カップ』なんて、一体どういう字を書くんですか?」と苦笑していた。
*断髪式には佐渡ヶ嶽部屋関係者は出席せず、再就職先の会社社長が止め鋏を入れた。
*身体障害者でひらがな詩人の[[栗栖晶]]と交流があり、その様子が[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]『ホリデーにっぽん ひらがな詩人と苦労人力士』([[2007年]][[2月12日]]放映)で紹介された。