「大塩平八郎の乱」の版間の差分

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前年の天保7年([[1836年]])までの[[天保の大飢饉]]により、各地で[[百姓一揆]]が多発していた。
 
大坂でも[[米]]不足が起こり、大坂東町奉行の元[[与力]]であり[[陽明学]]者でもある大塩(この頃は養子の[[大塩格之助|格之助]]に家督を譲って隠居していた)は、奉行所に対して民衆の救援を提言したが拒否され、仕方なく自らの蔵書数万冊を全て売却し(六百数十両になったといわれる)、得た資金を持って救済に当たっていた。しかしこれをも奉行所は「売名行為」と看做みなしていた。
 
そのような世情であるにも関わらず、[[大坂町奉行]]の[[跡部良弼]](老中・[[水野忠邦]]の実弟)は大坂の窮状を省みずに、豪商の[[北風家]]から購入した米を新[[征夷大将軍|将軍]][[徳川家慶]]就任の儀式のため[[江戸]]へ廻送していた。