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第八次イゾンツォの戦い(Ninth Battle of the Isonzo)とは、第一次世界大戦中にイタリアとオーストリアの間で発生した戦い。

第九次イゾンツォの戦い

第十一次までのイゾンツォの戦いの戦況図
戦争第一次世界大戦
年月日1916年11月1日 - 11月4日
場所:イゾンツォ川、西スロベニア
結果:イタリア軍攻勢失敗
交戦勢力
イタリア王国の旗 イタリア王国 オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国
指導者・指揮官
イタリア王国の旗 ルイージ・カドルナ スヴェトザル・ボロイェヴィッチ 
戦力
歩兵225大隊
大砲1,390門
歩兵170大隊
大砲990門
損害
イタリア王国の旗死傷者数39000人 死傷者数33000人
イタリア戦線

戦闘

9度目の攻勢もまた、第八次と同じく第七次イゾンツォを継続する形で行われた。

結果

三度の短期攻勢はいずれも数日間の戦闘であったが、両軍が出した戦死者数は決して今までの攻勢と見劣りするものではなかった。イタリア側は75000人、オーストリア・ハンガリー側は63000人の戦傷者に苦しんだ。

戦いにおいてオーストリア・ハンガリー軍は常にアルプス山脈という天然の要塞線に大きな有利を得て、それらを山岳戦で奪わねばならないイタリア陸軍を苦しめた。一方でこうした果てしない山岳戦を経てゴリツィア占領に成功すると、ルイージ・カドルナ参謀総長は消耗戦の有効性を確信してその傾向を深めていった。消耗戦は人的資源に劣るオーストリア・ハンガリー軍の西部方面軍に少しずつ、しかし確実に後退を強いていった。苦戦が明らかになるにつれて、オーストリア・ハンガリー軍は再三にわたってドイツ軍に助けを求めたが、東部戦線と西部戦線を抱えるドイツにその余裕はなかった。

東部戦線でもロシア軍に大敗を喫し、イソンゾ川でも戦線崩壊の危機に陥ったオーストリア・ハンガリーが戦争からの離脱を匂わせると、漸くドイツ軍は重い腰を上げて援軍を派遣した。イタリアは長い冬の間に戦力を温存して9度目・10度目の攻勢で戦線を突破し始めるが、11回目の攻勢の時に参戦したドイツ軍によって大きな苦難を強いられる事になる。

他の戦闘

関連項目