「パブリック・エナミー」の版間の差分

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[[1991年]]、パブリック・エナミーはニューヨークの[[スラッシュメタル]]バンド、[[アンスラックス]]との競演によって、[[ハードロック]]とヒップホップの融合を成功させた。シングル曲"Bring the Noise"は、戦闘的な「ブラックパワー」的歌詞と破砕的なギター、そして時折顔をのぞかせるユーモアが特徴的だ。お互いのリスペクトやチャックDとアンスラックスのリーダーである[[スコット・イアン]]との間の個人的な友情によって結びつけられたこのコラボレーションによって、ロックファンは当時なじみのなかったヒップホップを知ることになる。また、外見上は全く異なる二つのグループは共同ツアーさえも行った。[[フレイヴァー・フレイヴ]]がステージで言い放った「奴らはこのツアーが実現することはないだろうと言ったんだ」(アンスラックス の''Live: The Island Years''で聞くことができる)はロック界でもヒップホップ界でも伝説的なものになった。この、当時では考えられなかったコラボレーションがなかったら、[[レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン]]や[[リンキン・パーク]]のようなバンドは存在しなかっただろうし、[[ラップロック]]や[[ニューメタル]]のようなジャンルは発達し得なかっただろうと考えられている。
(この記述は間違っている。レイジはパブリック・エナミーがアンスラックスと一緒にやってもやらなくても関係がない。)
 
2010年、パブリック・エナミーは日本のアイドル、加護亜依・杏さゆりとの魔女っ子アニメ主題歌のカヴァーによって、アニメソングとアイドルソングとヒップホップの融合を成功させた。
 
== 名前の由来 ==