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秦檜は死後、売国奴の汚名を着せられた。完全に無実であったにもかかわらず、岳飛に罪を着せて謀殺した行為が、後世大いに非難の対象となったからである。秦檜自身も岳飛を殺すことについては大いに悩んだが、妻にうながされて殺すことを決意したという。そのため、岳飛を殺したのは秦檜夫妻だとみなされており、[[岳王廟]]には夫婦の像が縄に繋がれる姿で置かれている。以前の中国にはこの像に唾を吐きかける習慣があった(現在では「像に唾を吐いたり、叩いたりしてははならない」という掲示がある)。また小麦粉の棒を秦檜夫妻に見立て、油で揚げる食べ物を[[油条]]という。南宋が滅びた後も岳飛が英雄視されるに伴い、ますます秦檜の悪名は高まり、いつの時代でも売国奴の代名詞として扱われるようになる。