「稲荷森古墳」の版間の差分

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造られた時期は、出土[[遺物]]と築造方法などから推定すると、[[4世紀]]後半から[[5世紀]]初頭と考えられる。
 
[[1980年]]([[昭和]]55年)には、国の[[史跡]]に指定された(指定地面積、10,182.7平方メートル)。その後の[[1987年]](昭和62年)と[[1988年]](昭和63年)の[[発掘調査]]では、被葬者の埋葬施設には[[石室]]が存在しないことがわかり、このことから[[木棺]]を墳丘内に直接埋葬したもの(木棺直葬)と考えられている。また、高坏形[[土師器]]と、底部穿孔土師器という珍しい[[土器]]も出土したが、[[埴輪]]や[[葺石]]等は確認されていない。
 
大塚山古墳や[[宮城県]][[名取市]]の大塚山古墳や同県[[色麻町]]の念南寺古墳、[[福島県]][[浪江町]]の[[堂の森古墳]]などと計測上同一タイプの古墳であり、これらの古墳影響を受けたもの関連性がみてみらている。また、宮城県[[名取市]]に所在する[[東北地方]]最大の前方後円墳である[[雷神山古墳]]を築造した豪族との同盟関係によって造られたものと考えられる<ref>誉田慶喜「山形の夜明け」28-29ページ(横山昭男・誉田慶信・伊藤清郎・渡辺信『山形県の歴史』山川出版社 2003年2月)</ref>。
 
現在は史跡公園として整備されている。