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'''奥平 昌敦'''(おくだいら まさあつ)は、[[豊前国|豊前]][[中津藩]]の第2代[[藩主]]。中津藩奥平家6代。
 
享保9年(1724年)4月12日、中津藩初代[[藩]]主・奥平昌成の次男として[[中津]]で生まれる。[[元文]]2年([[1737年]])12月16日に従五位下・丹後守に叙位・任官され、[[寛保]]2年([[1742年]])6月1日に山城守に遷任される。[[延享]]3年([[1746年]])、父の死去により[[家督]]を継いで第2代藩主となった。
 
昌敦は宝暦改革といわれる藩政改革に着手し、倹約や奉行制度の制定、目付や[[目安箱]]の設置、宝暦札の発行、運上役所の設置と商業統制、宝暦2年([[1752年]])の61か条、宝暦4年([[1754年]])の27か条による農政改革などを行なった。また、幕命で[[江戸城]]門番を務め、延享4年([[1747年]])1月4日には大膳大夫に遷任されている。