「ピリッポス5世」の版間の差分

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ギリシアでの地位を確立したピリッポス5世はやがて[[アドリア海]]湾岸部でのローマの影響力を阻害しようと画策する。まず彼は海路より[[イリュリア]]に進攻し、初回はうまくいかなかったものの再度進攻して成功を収め、イリュリアを支配下にする。また[[第2次ポエニ戦争]]を利用して[[紀元前215年]]にはローマに進攻中の[[カルタゴ]]の武将[[ハンニバル]]と同盟を結び、ローマと対抗していく。しかしながら[[紀元前211年]]にローマが[[アイトリア同盟]]と同盟関係となるとピリッポス5世の影響力は次第に衰えていき、さらにローマの支援を受けた[[ペルガモン]]の[[アッタロス1世]]の進攻を受けるなど劣勢に立たされるようになった。
 
劣勢になりつつあるものの、いまだマケドニアは健在でピリッポス5世はにわかに勢力を増してきた[[アカイア同盟]]の指導者[[メガロポリスのフィロポイメン|フィロポイメン]]に近づいてローマの隙を突いて[[紀元前207年]]にはペルガモンの勢力をギリシア本土から一掃、アイトリア地方の宗教的な中心地であるテルムムを陥落させ、アイトリアの諸都市を屈服させ、ローマの息のかかったギリシア諸都市と[[フォエニケの和約]]を結び、有利に戦局を進める事に成功した。時勢に乗るピリッポス5世はこれを機に[[セレウコス朝]]の[[アンティオコス3世]]と共同でまだ若年の[[プトレマイオス朝]]の王[[プトレマイオス5世]]の支配下にあった[[エーゲ海]]地方に進攻するも、マケドニアの攻勢を恐れるペルガモン、[[ロドス]]など他のギリシア諸都市は[[紀元前201年]]にピリッポス5世を海戦で破る。この同時期に西方のローマもカルタゴを下していた。
 
== 第2次マケドニア戦争 ==