「ムラービト朝」の版間の差分

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== モロッコ制圧とガーナ王国の征服 ==
ムラービト朝は、やがて、モロッコ南部のスース地方の主要都市[[タルーダント]]を陥落させ、[[大西洋]]沿岸部のアブダ平野を北上、港湾都市サフィーなどを手に入れた。残るは、[[フェズ]]を中心とするベルルアータ地方であった。ベルルアータ地方の勢力は頑強に抵抗したが、「信仰は自由」という保証を与えて、ようやく政治的にはムラービト朝に服属することになった。アブー・バクルは、フェズ攻略を含めたモロッコ全土の攻略を[[従弟]]のユースフ・イブン・ターシュフィーン(位1061年~1106年)にゆだね、南方の[[ガーナ王国]]征服に専心することになる。1061年か1062年ごろからガーナ王国に対して[[ジハード]]を挑み、1076年に、首都クンビ=サレーを陥落させて支配し、付近に住むサラコレ族に貢納をとった。やがて反乱が起こったので、その鎮定に向かったが1087年に死亡した。
 
== ムラービト朝の全盛期とアンダルシア情勢 ==