「森内俊之」の版間の差分

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また、第10回「若駒戦」(奨励会の段位者による非公式棋戦)でも優勝している。
 
=== 無冠の帝王~初タイトル獲得 ===
プロ入り早々頭角を現し、1988~1989年度、[[早指し新鋭戦]]で2連覇。さらには、全棋士参加の大型棋戦である[[朝日オープン将棋選手権|全日本プロトーナメント]](第7回、[[1988年]]度)において、[[谷川浩司]]との決勝三番勝負(1989年)を2勝1敗で制して優勝。なお、1988年度の[[将棋大賞]]で新人賞を受賞している。これだけの活躍をしながら、当時の段位は、まだ四段であった。
 
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2008年[[6月17日]]、[[山形県]][[天童市]]の「天童ホテル」で行われた名人戦第6局で羽生に敗れ、無冠の九段に後退<ref>失冠後は1年間'''前名人'''の称号を名乗る権利があるが放棄。4年前に名人失冠した時も名乗っていない。ちなみに過去には、谷川浩司が「前竜王・前名人」の肩書きを放棄して九段を名乗った例があり、その後は佐藤康光や丸山忠久も「前名人」の肩書きを放棄し九段を名乗った。</ref>。一方の羽生は、森内に1年遅れで永世名人(十九世名人)の資格を得た。永世名人が2年連続で誕生したのは史上初。
 
=== 名人失冠後現在 ===
第67期順位戦([[2008年]]度)では5勝4敗と勝ち越すも、名人挑戦には至らず、第60期から続いていた名人戦連続出場は途切れ、以降、名人戦以外のタイトル戦からもしばらく遠ざかっていた。しかし、第22期竜王戦で[[深浦康市]]との挑戦者決定三番勝負で勝利し、渡辺竜王に挑戦する。渡辺は第17期に森内から竜王位を奪ったのが初タイトルで、以降、連続5期タイトルを守って永世竜王の資格を獲得しており、二人の同棋戦での対局は5年ぶりの因縁の対決となった。結果は森内のストレート負けとなった。
 
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*後手番[[矢倉囲い|矢倉]]では『森内流』と呼ばれる駒組みがあり、現代矢倉の主要変化の1つである。
*好きな駒は[[飛車]]。攻めのみならず、守りでの使い方にも特徴がある。[[勝又清和]]によれば、「自陣飛車の似合う棋士は?」という質問を棋士にしたところ丸山とともに多くから名前が上がったと言う。<ref>「将棋世界」2009年11月号。</ref>
*{{要出典範囲|駒を盛り上げ模様を張る将棋も得意とする。玉頭、角頭の歩を突く将棋もしばしば見せる}}。
 
== 人物・エピソード ==
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*趣味は[[クイズ]]、[[チェス]]、[[麻雀]]、[[奇術|マジック]]、[[スポーツ観戦]]。[[健康法]]は[[散歩]]。ストレス解消法は[[ジョギング]]<ref>平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)</ref>。20代の頃はフルマラソンを走ることもあった<ref>[http://www.spopre.com/shogi/070905/01.html Spopre.com - 将棋は頭脳スポーツだ 棋士列伝第一回 十八世名人森内俊之]</ref>。
*特にクイズはかなりの実力で、[[パネルクイズ アタック25]]・1500回記念大会(「知性派タレントクイズ頂上決戦」、[[2005年]][[3月20日]])では[[丸山和也]]、[[高田万由子]]、[[やくみつる]]を破って優勝し、[[フランス]]縦断旅行を獲得した。[[1995年]][[4月23日]](第1011回)には予選会を勝ち抜き一般出場者として出演したこともあり、司会者の[[児玉清]]は番組冒頭で「今週は見たことのある方が出場されています」と紹介した。また[[2004年]][[10月24日]]放送分(第1483回)では、番組終盤のVTRクイズの答が彼だった。正解した男性はその年のチャンピオンにもなった。[[ホノルルクラブ]]会員。
*2009201092月現在、チェスの国内ランキングでは32位である<ref>http://ratings.fide.com/topfed.phtml?tops=0&ina=1&country=JPN</ref>
 
===その他===
*漫画『マサルの一手!』、『[[うちゅうの王]]』、『[[風の棋士ショウ]]』、『駒魂伝!』などの将棋監修を務める。
*[[2007年]][[1月3日]]放送の「[[大逆転将棋|大逆転将棋2007]]」で、[[石橋幸緒]]と[[矢内理絵子]]の脳内対局10秒将棋の対局後に講評を求められた際、内容を賞賛し、さらには「[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]の力を見せつけましたね」とコメントした。