「畝傍 (防護巡洋艦)」の版間の差分

日本側の意向により、過大な武装を搭載したため重量過多で復原力が小さく、南シナ海で不時の台風に遭遇して転覆沈没したという見方が有力である。
 
1954年5月に、やはり南シナ海で、弱い熱帯低気圧から急激に強い勢力に発達した台風3号に巻き込まれたタンカー辰和丸が遭難し、大規模な捜索にもかかわらず漂流物の類は全く発見されなかった事実がある。南シナ海など低緯度の洋上では冬季でもしばしば台風の発生がある事、当時の気象観測体制は極めて未発達で、陸地から遠く離れた台風の多くは探知されずに終わった事などから、畝傍の喪失も同様のものであった可能性は充分考えられる。
 
喪失当時、台風で沈没したとしても普通は何らかの漂流物が見つかるものであると考えられていたが、何も見つからなかったため、清国に奪われた、[[海賊]]に捕獲されそのまま海賊船になった、生きのびた[[西郷隆盛]]が乗船して帰国してくるなど、様々な流言が飛び交った。中にはこっそり後をつけてきた[[ロシア帝国|ロシア]]海軍に捕獲されたというものまであり、この噂は[[日露戦争]]の際に「捕獲された畝傍が[[バルチック艦隊]]の一員として日本に襲来する」と言われるまでになったと伝わる。
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