「ゴータ綱領批判」の版間の差分

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この手紙の名称にある都市の[[ゴータ]]では、党会議が開催された。その会議で "アイゼナハ派" は、後に強力な[[ドイツ社会民主党]]となる統一党を形成するために、"[[フェルディナント・ラッサール|ラサール]]派" との合同を計画した。"アイゼナハ派" は、統一党のための綱領草案をマルクスに送りコメントを求めた。マルクスは綱領草案に、[[フェルディナント・ラッサール]]による悪影響を発見した。マルクスはラッサールを、政府からの譲歩のために労働者運動の要望を制限しようと意図する、日和見主義者とみなしていた。マルクスは手紙「ドイツ労働者党綱領評注」を返信した。しかし、1875年5月の後半には、ゴータで会議が開かれ、綱領草案はわずかな修正のみで可決された。
 
この手紙は、かなり後の1891年、ドイツ社会民主党が新政策(エルフルト綱領)の採用の意向を宣言した際に、エンゲルスがマルクスの公開し出版されたレターを入手た、かなり後の1891年に出版された。「ゴータ綱領批判」は、マルクスが返信した「ドイツ労働者党綱領評注」を中心に構成されている。
 
== 関連項目 ==