「上官皇后」の版間の差分

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昭帝は幼くして即位し、姉に当たる[[蓋長公主]]が養育していた。蓋長公主は周陽氏の娘を昭帝の配偶者にしようとしたが、当時権力を握る上官桀の子の上官安は自分と霍光の娘との間に生まれた子を嫁がせようと考えた。同じく権力を握る霍光に相談したところまだ幼いとの理由で許されなかったが、上官安は蓋長公主が寵愛する丁外人を通じて蓋長公主を説得した。そこで上官安の娘を後宮に入れるよう詔が出され、上官安の娘は[[倢伃]]となり、上官安は[[騎都尉]]に任命された。一月後、上官安の娘はわずか6歳にして皇后に立てられ、上官安は車騎将軍となった([[始元 (漢)|始元]]4年([[紀元前83年]]))。翌年には皇后の父であることを理由に[[列侯]](桑楽侯)に封じられた。
 
その後、上官安は皇帝を「我が婿」と称したり、継母や父の側室と淫乱な行いをするなど、驕慢で淫乱となっていった。また、丁外人のための官位を霍光に求めたが断られたことなどから霍光との関係が悪化した。そこで上官桀、安親子は蓋長公主、皇帝になれなかったことから不満のあった昭帝の兄燕王[[劉旦]]などと結んで霍光を討ち、更に燕王劉旦をも殺して昭帝を廃して上官桀を皇帝に立てようと企んだ。しかし陰謀は発覚し、上官安上官桀は殺された([[元鳳]]元年([[紀元前80年]]))。
 
上官皇后は幼少で陰謀に関与しておらず、また霍光にとっても孫であったことから廃されなかった。皇后は奴婢を置いて上官桀、上官安の墓を守らせた。
 
霍光は上官皇后が昭帝の寵愛を<!-- × ほしいままにして = 「わがまま好き勝手にして」の意-->一身に受けて後嗣けるよう願った。そこで昭帝の左右に仕える者や医師は霍光におもねって昭帝に後宮への立ちりを控えべきでないとよう進したり、宮女たちには胡服(ズボン)のような衣装はかるなどし、他て間違っても帝寵愛されるのを妨害つかないようにした。
 
昭帝が[[元平]]元年([[紀元前74年]])に死亡し突然崩じた時、上官皇后はまだ15歳であった。昭帝に男子は無く、昌邑王[[劉賀]]が迎えられて皇帝に即位してき、上官皇后は[[皇太后]]となった。しかし劉賀に淫乱愚鈍と乱いがあは眼を覆うばかりだったことを理由にので、霍光以下の大臣上官皇太后に劉賀を廃すべきことを上奏上官皇太后の名の下に劉賀は廃位され、代わりに[[宣帝 (漢)|劉病已]](宣帝)がてられた。
 
宣帝が即位すると上官皇太后は[[太皇太后]]となった。上官皇太后は霍光の子[[霍禹]]ら母の一族霍氏が反乱を企み誅殺された後も地位を失わず、[[元帝 (漢)|元帝]]の[[建昭]]2年([[紀元前37年]])、52歳で死亡し、昭帝陵である平陵に合葬された。