「プリンセス・カラブー」の版間の差分

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1817年4月3日、[[グロスターシャー]]州の[[アーモンドベリー]]に住む靴の修繕屋が、道に迷っているらしい若い女に出会った。女は異国風の身なりをし、誰にも理解不能な言葉を話した。修繕屋の妻は女を貧民視察官に引き渡し、さらに貧民視察官は女を地元の治安判事サミュエル・ウォーラルの元に連れて行った。ウォーラルも、そのアメリカ人の妻エリザベスも彼女の話す言葉が理解できなかった。彼らが判別できたのは、彼女が自分を「カラブー」と呼んでいること、そしてなぜか[[中国]]の絵画に興味を示すことだけであった。ウォーラル夫妻が女を町の宿屋に連れていくと、彼女はそこにあったパイナップルの絵を見てパイナップルのことを「アナナス(ananas)」と呼び、さらに床の上で睡眠をとることを主張した。サミュエル・ウォーラルはこの女を乞食であり、浮浪罪で拘束して[[ブリストル監獄]]に収監すべきだと判断した。
 
女が監獄に収監された後、同じく監獄に入っていたポルトガル人の船乗りマヌエル・エイネッソ(またはエネス)が、彼女の言語が理解でき、その話を通訳できると言い出した。エイネッソによれば、女は[[インド洋]]に浮かぶジャヴァス島いう島国の王女カラブーであるという。カラブーは[[海賊]]に捕まって長いあいだ海上で囚われの身となり、海賊の船が[[ブリストル海峡]]に差し掛かったところで海に飛び込み、岸まで泳いだのだという。
 
ウォーラル夫妻はカラブーを自分たちの屋敷に連れて帰った。続く10週間、この異国の王女なる人物は地元の上流階級から大いにもてはやされた。カラブーは弓矢を使いこなし、[[フェンシング]]も嗜み、裸で泳ぎ、「アラフ・タッラーフ」という名の神に祈りをささげた。エキゾティックな衣装を着た彼女の肖像画が描かれ、その肖像画は地元の新聞に模写されて掲載され、世間に出まわった。ウィルキンソン博士という人物が、カラブーの言語はエドマンド・フライの著した言語に関する書物『[[:en:Pantographia|パントグラフィア]]』を参照することで識別できるし、また彼女の後頭部にある謎の印は東洋の外科手術のあとであると述べたことで、カラブー王女の真正性は何の疑いもなく信じられることになった。