「テクニカルランディング」の版間の差分

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===1960年代以降===
1960年代中盤に入り、ダグラスDC-8-62などにより無着陸での[[太平洋]]横断飛行や[[ユーラシア大陸]]横断飛行が可能になってからも、政治的問題などによりテクニカルランディングを余儀なくされる例は多く、[[1980年代]]に入り航空機の航続距離の問題がほぼ解消した後も、「国防上の理由」から[[ソビエト連邦]]上空の空域が開放されていなかった北回りヨーロッパ線において、[[1990年代]]初頭[[冷戦]]が崩壊して終結後[[ソビエト連邦]]が崩壊し同国の空域が完全開放されるまでの間は、[[日本]]などの[[北東アジア]]と[[ヨーロッパ]]諸国間の路線においても多く行われていた。
 
また、自国政府による[[アパルトヘイト政策]]に反対する近隣諸国上空を飛行できなかった[[南アフリカ航空]]のヨーロッパ路線や北アメリカ路線、冷戦下で敵対するアメリカ上空を飛行できなかった[[キューバ]]の[[クバーナ航空]]のヨーロッパ路線でも行われていた。