「固定観念」の版間の差分

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'''固定観念'''(こていかんねん)は、'''固着観念'''(こちゃくかんねん)とも云い、[[心理学]]の用語で、[[人]]が何かの[[思考|考え]]・[[観念]]を持つとき、明らかに過ちであるか、おかしいと思える場合、他の人が説明や説得を行っても、あるいは状況が変わって、おかしさが明らかになっても、その考えを訂正することのないような観念を指す。
 
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<!-- すでに大幅に、全面的に改稿したので、ステレオタイプの記事はまだ書いていないが、「改稿中」は外します -->
== 概説 ==
 
[[日常生活|日常]]的な[[表現]]で、何かの「[[思い込み]]」を人が持っているとき、これを「固定観念に捕らわれている」と表現することがあるが、厳密には[[言葉]]の[[誤用]]である。例えば、「[[鳥類|鳥]]は飛ぶものである」という考えは、多くの人が持つ思いこみであるが、固定観念ではない。鳥であっても飛ぶことのない例、たとえば、[[ペンギン]]や[[ダチョウ]]を示されると、一般に人は思い込みから脱して、「飛ばない鳥もいる」という考えになる。ペンギンやダチョウの例を出して説明してもなお、色々な理屈を述べたりして、「鳥は飛ぶ」という観念や自己の主張をどうしても変えない場合には、固定観念となっていると云える。
 
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=== 宗教的信念 ===
 
[[宗教]]的[[信念]]にも固定観念が含まれている場合がある。[[アブラハムの宗教]]([[ユダヤ教]]、[[イスラム教]]、[[キリスト教]]等)の[[教義]]にも、[[ヒンドゥー教]]、[[仏教]]にも、また[[神道]]にも、そういった要素はいくらか含まれていることがある。ただし宗教の目的は、科学の目的とは異なるものであり、人間の[[幸福]]を目的とする体系においては、固定観念は必ずしも悪いばかりではない。つまり良い効果をもたらすことも多い。例えば、実際に人生で理不尽な目に会い、様々なことに確信が持てなくなり、不安感にさいなまれている人にとっては、何らかの安定した観念を持つことが精神衛生上、あるいはその日を生きてゆく上で、極めて大切な役割を果たすことがある、ということは十分に考慮する必要がある{{誰}}
 
== 関連項目 ==