「プファルツ=ズルツバッハ」の版間の差分

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'''プファルツ=ズルツバッハ'''(Pfalz-Sulzbach)は、かつて存在した[[神聖ローマ帝国]]の[[領邦]]の一つ。現[[ドイツ]]、[[バイエルン州]][[アベルク=ズルツバッハ]]を中心とする一帯に存在し、[[ライン宮中伯|プファルツ系]][[ヴィッテルスバッハ家]]の支族が治めた。
 
== 1569年から1604年まで ==
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== 1614年から1742年まで ==
[[1614年]]の[[プファルツ=ノイブルク公]][[フィリップ・ルートヴィヒ (プファルツ=ノイブルク公)|フィリップ・ルートヴィヒ]]の死により、その息子[[アウグスト (プファルツ=ズルツバッハ公)|アウグスト]]が新たにプファルツ=ズルツバッハを興した。彼の地は[[バイエルン大公|バイエルン選帝侯]]と二分された。西方は[[帝国自由都市|帝国都市]][[ニュルンベルク]]に接し、東方は[[ボヘミア|ボヘミア王国]]に接した。
 
アウグストの跡を継いだ[[クリスティアン・アウグスト (プファルツ=ズルツバッハ公)|クリスティアン・アウグスト]]は寛容な君主で、個々の宗教の信仰を認めたり、[[シムルタネウム]]を導入したり、[[1666年]]に[[ユダヤ人]]が定住するのを認め、印刷業を設立した。[[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]][[カール3世フィリップ (プファルツ選帝侯)|カール3世フィリップ]]の死後、クリスティアン・アウグストの後継者のプファルツ=ズルツバッハ公が選帝侯位を継承するのは明白であった。しかし、それが実現したのは[[1742年]]、[[カール・テオドール (バイエルン選帝侯)|カール・テオドール]]の代であった。