「利用者‐会話:GcG」の版間の差分

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(BGM:『Rose of may』 植松伸夫)
それを必要としてきた環境や状況がなくなりましたことですし、お為ごかしや擦り寄りのような内容を盛り込んでも意味がありませんから真面目に書くことにします。
そのようにお読み頂ければ望外のことです。
 
私は政治犯であり、また確信犯です。このほど極刑処分を受けるとのことで、辞世の句でも考えているところです(笑)
 
さてさて、この程私に対するブロックが成立し、私に対して長期のブロックを希望した諸氏におかれては、大いに溜飲を下げられたのではないでしょうか?
 
この、GcGという、扱いづらい厄介者が消えたから胸のつかえが下りた。自分の行動を散々に揶揄した、いけ好かない人物に報復できた。そういうわけで非常にさっぱりした。飯が旨い。メシウマ状態。ことばに出す出さないは別として、そういう方は多いだろうと私は予測しています。
 
多くの物語では、悪の首魁は善の主人公によって死闘の末打ち倒され、正義が達成されます。自らが正義の代弁者であるかのように振舞うことや、そうした正義が達成されたことを知るのは、たいていの場合、たいそう気持ちがよいものです。おめでとうございます。
 
爽快な気分というものは人生において非常に貴重なリソースです。あなたは勝利者です。この瞬間の晴れ晴れしい気持ちを、一生大事にして頂きたいと私は切に願っております。
 
私としては、「犯罪」の「判決」に対しては、興奮することもなく冷徹冷静、明鏡止水の心境にて候。
しかしながら、「去り行く世」には聊かの憂いを感じ、筆を執る次第です。
 
 
 
(BGM:『世情』 中島みゆき に変更)
 
現代は否応なしにマスコミの影響を受けます。
 
アフリカの食糧危機は結局どうなったのか、ペルシャ湾の原油まみれの水鳥はどうなったのか、今では誰も省みることはないでしょう。しかし、私はこのような現象をストックし、アーカイブし、来る未来に思考する材料として活用したいと考えています。
 
 
さて、メディアの報道によれば、ウィキペディアの成長は止まりつつあり、その活性は停滞しつつあるのだそうです。
 
本来はもっと高みを目指せるポテンシャルがあるだろうに、残念だなあと私は思うのですが、私はそれに手を差し伸べることはできないのですから、しょうがありません。どうなるかは、皆様次第です。残る方のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
 
この世界は美しいところであり、その為に戦うに値する。しかし惜しむらくは、それは認められていない。
 
これに関連して思い出すことがあります。
 
 
WCJ2009、スタッフの皆様の努力には頭が下がる思いです。お疲れ様でした。あの時には多くの方々とお顔を会わせることができまして、大変に刺激になりました。
 
さて、その中で「この場は殆ど政治屋の集まり。録に記事書きがいない」とこぼされた方がいらっしゃいましたことを、私は克明に記憶しています。どうしてこうなった。私は今でもそう思うものです。
 
 
 
人間は恐れや怯えから、自衛の為、社会集団において防衛の為のバリケートを形成するものです。
企業における、いわゆる派閥。専業主婦の噂クラスター、枚挙に暇がありません。
良かれ悪しかれ、そうした現象を前提として社会は成り立っています。
 
 
ですから、web上において自警団なるものが結成されたりだとか、効率的で安定した情報共有システムとしての派閥が形成されて、政治的な活動を行なうといったことは、私にとってさしたる不思議ではありません。勿論、それが社会からどう評価されるかというのは別問題ですが。
 
 
大企業病、という現象があります。組織が大きくなるにつれ、構成員がその組織の社会的活動意義よりも内部社会的側面を重視した活動に傾斜するようになり、結果として腐敗や独占的な体質が蔓延し、組織全体が揺らぐ結果となるという。
 
東大法や経済のOBで固め、保守的な運営体制と身内中心主義に終始し最終的に没落し、破綻していった大手金融機関の姿を目にした方は多いでしょう。
 
異論を認めず、異論を出すものを排除する。そうやって結果として組織をイエスマンで固めてしまう。
私はそういう日本社会に絶えず違和感を感じており、機を捉えて改善してやることこそが、(ゆがみ、壊れつつある)日本というフレームを健全に未来に譲り渡す手段であると考えています。昭和は、とうに終わっている。平成になって何年経ったというのだろう。
 
私には、ウィキペディア日本語版がそうした方向に向かっているのではないかと危惧し、同時に憂慮しています。お芋の塊は、こなれ難く、崩れ易かった。
 
 
さて、「自警活動」に固執された皆様方。コミュニティを疲弊させる昆虫や細菌が家の中に入って繁殖しているのではないかと絶えず警戒し、修正してやる!とばかりに竹刀を振りかざしていらっしゃた方々のことに思いを馳せてみましょう。
 
要は、良かれと思って噂を吹聴したり、裏工作をするオバチャンと一緒の行動様式なんですよ。当事者は事細かに差異を強調するのだろうが、実際そうなのだから仕方がない。
 
この方々は、剪定し続けなければ植物に家が侵略されてしまう。とでもお思いなのであろう。
 
 
さて、人間は常に己の行動を正当化する習性があるのですね。認知バイアス。
 
何でも、神経系の病気で、自己のの意思決定能力と記憶に著しい問題を抱えた患者に水を飲ませた実験では
患者は水を飲んだのちに飲んだ理由を尋ねられると、すらすらと、飲む前に語った理由とは異なるが実に尤もらしい根拠を答えたのだといいます。
 
お気づきの方も多いであろう。
 
普段は、ルールを重視し、規範に従えと主張し、自分がその規範の体現者であるが如く振舞っている者がこと、あのブロック依頼のような場所であれば雁首を揃えて本来であれば依頼無効とされるような状況であれ、「依頼は無効と思わない」「被対象者には対象となる十分な理由がある」と、極めて尤もらしい主張を行い、それが正当化されてしまった出来事を。
 
 
 
人間はメタ意識下で自分の身の安全や判断を正当なものだと把握し、自分は理性的であると再帰的に納得させる機構があるものだから、こうしたプロセスに携わった方々は、未だもって「自分は正しいのだ」と、己に対する疑念を一片もお持ちでないだろう。
 
 
勘の良い方なら、他にも同様な現象を読み取れることができるのではないかな????
 
 
 
 
 
自分の蒔いた「善意」という種が、結果としてどう育ってしまったかを、貴方がたは恐らく見届けることになるでしょう、
私の予想では、多くの方が、自分の行動を深く後悔することになるだろうと思います。
それは地下水脈のように徐々に浸透し、そして水滴となり、川となり、
苛み続けることになるでしょう。どういうことなのかは、事の後、お分かり頂きたい。お分かり頂きたい、骨の髄まで。
 
 
(BGM:『パリは燃えているか』 加古隆 に変更)
 
 
もちろん平気で嘘をつく人々。ばれていないと考え、その場凌ぎの言い訳を述べつづける『痛い』面々。
そうした者を見続け、対処し続けたならば、「予防検束」を積極的に実行してやろうという気になることも理解できないではないものです。
 
徹底制裁だ。やってちまえ。この野郎、ふざけやがって。と、対処に関わる皆様がそう思う気持ちは十二分に理解できます。
 
 
 
 
 
そこで、精緻で複雑なシステムを維持することの妨害となる「困った連中」に対策すべく、以下のような対応策が生まれたのでしょう。
 
 
*(しばしば『コミュニティ』と称する)自分たちの少数の内輪でまとまった意見に(いやいやでも)自分らの意に沿わない、同調しないやつは
*「放置しておくと後顧の憂いを招く」とブロック依頼を出し
*「コミュニティの疲弊を招く」「方針の不理解が見られるから熟読に相当な時間が必要だ」「共同作業に必要な協調性の欠如」と、反証のしようがない曖昧なブロック理由を人民裁判の如く投げつけ
*「被依頼者には無期限のブロックが必要だ」と「コミュニティ」による「合意」がなされたので「方針(規則)」に従って対象者を処分します。
という、ブラックダイヤモンドのフレームワーク。
 
ここで重要なのは
ブロック依頼で持ち出される理由というのは、非常に曖昧な「人治」的な内容でよく
合意後の処遇とされるものは明文化された「法治」的なプロセスであるという
人治主義と法治主義の問題点を活用したハイブリッドな方式で統治が行なわれている点です。
さらに注目すべき面白い点は、それを運用する当の本人は「フレキシブルで効率的な手法だ」と自賛している点です。
 
<なお、以前、このシステムを最大限に逆活用して振舞ったところ「システムのセキュリティホールを突くような行動は、コミュニティの脅威だ!」と物凄い反発を買い、極めて手痛い報復を受けることと相成りました。
 
'''何をすればルールを守ったことになるのか分からないルールというのは非常に恐ろしい'''ものであることが分かります。非常に恐ろしいものであることが分かります。日本社会的の構造は。
 
これが、智の理想郷(ユートピア)の創造プロセスであってよいのでしょうか?これは、暗黒版の理想郷(ディストピア)ではないのですか?
 
実際にこのフレームワークを運用されている方々は、意図的かどうかは分からないのですが、このことに無自覚ではいらっしゃるのでしょう。
 
こうした方々にとっての自己認識は『俺たちのWikipediaの守護者』『対荒らし最前線で戦うマジカッコイイ俺』といったものであり、与党であったとある政党の構成員が批判を受けてもさらに活性化したが如く、自己の万能感、戦闘隊長としての自負を肥大させていったのだろう。Nekosuki600氏が某氏について他で指摘しているが、私も全くそう思う。
 
2009年、いわゆる「ネット右翼」層は、麻生総理(当時)との連帯感をこう表現していたのだという。
 
『俺たちの麻生』
 
当の麻生太郎氏はどう考えていたのだろう。少なくとも、己がネット右翼層・若者パトリオット層の所有物だとか従属物だなどと考えてはいなかっただろうね。彼らが「すごい一体感を感じる。風が俺たちに吹いてきている。」と感じていたのとは裏腹に。
 
他に、阪神ファンによる「俺の阪神」、東大卒が誇りの方々による「俺の大学」などなど
「俺の**」という表現は枚挙に暇がないものです。
 
 
 
 
そうした帰属意識に依拠した過剰な自意識と、その活動に伴う問題というのはしばしば見うけられる現象ではあります。その全てがネガティブなものだと私は断じるわけではありませんが、それに該当しそうな方は、意識的に、外からのまなざし、というものを考えて見たほうがよいのではないかと私は具申する。
 
 
その筆頭たる[[利用者:海獺]]氏は近日、マスコミ露出まで果たされ、その熱心な活動スタイルを披露されたのだという。
いやまあ素晴らしいことなのだろう。時に、管理者としての活動には一日に8時間も費やしたのだという。ご立派ではないか。
警察への通報も一気に担っていらっしゃるのだという。私はその活動に大変に敬意を払う。そして、評価しない。
 
あなたがやっていることというのは、結局のところ、パターナリズム(父性的温情による統制社会)なのです。
 
 
全ては全体の為と権力を振るい、人に禁止を強いたり、強権的に威嚇する。私利私欲の為でなく、「みんなのため」という旗印を立て、大砲を発射する。なんのことはない。支配欲という麻薬に酔っていることを知らずに。貴君は、私への投稿ブロック依頼は明白なる天命(マニファスト・ディスティニー)ないし、テロとの戦いだったとでもお思いだろう。この件は、そのことを、きわめて雄弁に語るものでした。神の使命や社会の敵相手であれば非合法な手段も正当化されるし、大衆の賛同も得られるというものです。
 
貴君は有害だから勇退なされた方が宜しいと申し上げるが、素直に従うとは思えないから、貴方の意識の働かない(あるいは、働けない)ところで引導を渡して差し上げる
 
そうした挙動に貴君が巻き込まれたならば、常に、私の影を感じて頂きたい。己の身に降りかかるありとあらゆる災厄を嘆くとき
その陰には私の見えない影があるのだと常に意識して頂きたい。私は既に行動を開始している。
 
 
(BGM:『見せかけ社会』 小谷美紗子)
さて、こんなことを書けば「ブロックされた問題児が逆切れして何かわめいているだけだw」
と述べる方が多数いらっしゃいましょう。しかし、それで、事情を知らない方がこの先もほいほいと信じるとはたして思いますか?
「起こっていることは全て正しい」のです。
 
「魚は頭から腐る」といいます。自浄作用を無くした組織の行く末は、興味をもって積極的に観測しています。
 
 
そういえば記憶に新しい(新しくない?)「もつ煮」事件。あの例は、管理者が「腕づくで解決しない」を破った良い例ではありませんか?まるで憲法の前文のような美しい理念を説いて、これです。貴方も興味を持ちますよね。
 
 
それと、「ブロック対象者のノートページの編集に関する論議」
 
この論議は、ブロック者の主張の正当性を評価する完全に中立な尺度は存在しないのだから、利用者ページのノートは被ブロック者でも自由に編集してよいのではないのか、という趣旨が、結局、「犯罪行為を避ける」とか「個人攻撃は自由にさせるべきでない」という口当たりのよい文言をもって管理者が恣意的にいじれるポリシーに歪められてしまった。
この例に端的に見えるように、このコミュニティというのは、極めて閉鎖的でありまたクローズドなものである。そういった証拠を残してしまったのですね。
 
ところで、私はもちろん、当初より事の推移を観察していました。ブロック解除という裏の要請がありましたから、表向き、「最近知った」ということにしておきましたが。
 
そもそもこれは英語版で長らく採用されていたシステムなのですが、日本版、おっと、日本語版に採用されたのは、最近(2009年)になってからのものです。なぜ早急に日本語版に導入されなかったのかといえば、
"恐らくは、辛辣な批判を受けた際に困るんだろうから、ブロックされた者の口は閉ざしておくに越したことはない。"
 とか、そういった意図があったのであろうことは容易に想像できますね。
 
この導入の決定的契機は私とされる人物がMLに投稿した件で、間接的な『自作自演』といえるわけですが(笑)ひとまず、策定に関わられた皆様には本心より「ありがとう」の一言を送りたい。こうして文章を突っ込めるのだからね。
 
 
 
さて、メーリングリスト投稿の話がでました。
 
メーリングリストにて配信された件名「Re: [WikiJA-l] Clubath」なる文章は非常に文面が挑発的で、具体的に人の行動を揶揄していることは事実であり、これは激怒を招くのだろうなと見ていて予想できました。
 
しかしながら、改めて文面をご覧下さい。まさに、今起きていることを見れば、この通りでありませんか?逆説的にいえば、表現は刺激的であっても、本質的な内容が正しいのだから貴方様は文面を読んで激怒するに至ったのではありませんか?事実ほど人を怒らせることは無いのです。
 
己を振り返ることなしには、一生、怒り続けることになるだろう。それも、二度三度のことではないでしょう。『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。そう故人は60年も前に書き残しているのです。
 
私は、己に投げつけられた言葉であっても、受け取った言葉全てから学びたいと常々考えています。耳に痛い言葉であっても、自分を研鑽させる上で必要ならば積極的に受け入れる。そういう姿勢で生きています。
 
 
 
例えば、私はカン・サンジュンが好きでない。上野千鶴子は嫌いだし、アグネス・チャンは心底大嫌いである。勝間和代も相当に疑念の目で見ている。これは単なる事実ですもつ煮。しかし、私は彼らに目を向けないわけではなく、それどころか、常に学び取ってやりたいと考え、そう実行している。
 
 
FXST氏の文書は、Wikipedia的な作法はともかく的確な批判であると私は汲み取りました。これを嘲笑って無かったことにしようと扱った方々の姿勢を見るにつけ、彼らには他山の石、以って玉を攻むべし。良薬は口に苦し。という言葉の意味が分からないのであろう。そう私は思ったものです。
 
あのメーリングリストの文章は、 明白に「[WikiJA-l] Suisui氏へのコメント依頼へのFXSTによる投稿[http://markmail.org/message/65ip2ikg6ywa6m7b]を意識して、そして「別の未来を志向して」設計されたオマージュなのです。比較してみれば分かります。「人を動かす」ことに傾注するか、しないかが、この二つの文章を峻別しているのだと。
 
(BGM:『善良な市民』 忌野清志郎 に変更)
 
柳のようにしなやかに、信念をなびかせたように見えて、凛と立つということは、現代において難しいことです。
「3分間憎悪」の対象になることすら、覚悟せざるを得ない。
 
しかしながら、ガンジーにせよ、マンデラにせよ、ネルーにせよ。あるいは私が言及したローザ・パークスにせよ、信念があったから大きな行動ができたあなたに信念はありますか?私はそう訴えかけたい。
 
人間が一人で成しえることは、決して大きくない。人を巻き込み、また巻き込まれ、支えあってこそ大きい仕事ができるものだ -
これは煽りでも挑発でもなんでもなく、最近、私は素朴にそう感じます。
 
だいたい、ブロックされるのが嫌ならブロックを解除された後に、適当に別のアカウントを取って活動しておけば長期ないし無期のブロックなんてかけられはしないのですね。この文章はダブルミーニングなので、玉虫色の輝きを放ちます。
 
 
世の惨状への絶望なしに『動物農場』は完成しただろうか。怒りなしで、『ゲルニカ』は大傑作と成り得たのだろうか?紛争の双方に言い分はあれど、怒りが青色ダイオードの実用量産化につながったのだという。
 
こうした訴えかけは、生々しい怒りの噴出であれば、人はそれをグロテスクなものと見て避けるものです。戯曲にせよ、劇にせよ、歌にせよ、一見ユーモラスな形をとって、人の心に訴えかける表現というのは多々あるものです。私が本質的に訴えかけたかったこととはそういうことなのですが、むべなるかな。「遊び」「悪ふざけ」と受け取る方は極めて多かった。そうした方はその経緯に自分が深く加担していることについてもご存知でないのであろう。残念なことだ。
 
未来からのまなざしを仮定したならば現代の過ちが見えてくるのであろうと私は思うし、常に現状を仮説と捉え、問題意識を持ち
己の社会における位置づけと、社会が向かっていく先を常に見据えた健全な社会人であれば当然お分かりかと思うし、あるいは、釈迦に説法かとも思うが。
 
勿論、そのような中でも人を説得する技術というものは極めて重要です。
 
私は宣誓文をMicrosoft Visioを用いたダイヤグラムやマインドマップを活用し、いわゆる「コンサルティング」的な手法で練り上げ、そのプロセスにおいては心理学を活用。認知科学や行動経済学の知見や手法をふんだんに取り入れ、非常に精密に設計しました。結果として「認知的に効く」処方となっております。
 
私は人を欺いてやろう。かついでやろうと思ってはいませんでしたが、予断や偏見に左右され、人間を属人的にしか判断できない方はあまりにも多い。生きぬく術というものは、悲しいながらも必要なのです。
 
 
私はFXST氏でも、野田憲太郎氏でも春野秋葉氏でもない。
 
方針文書の解釈を巡って、アカウントを変えて連日、長文の批評を繰り広げたり、また、膨大なアカウントを駆使して、真偽が不明な誹謗中傷の類を繰り広げたり。あるいは、私がブロックされているのはおかしいのだと、メーリングリストで喚き続けたり。もしくは、個人情報を暴露してみたり、犯罪予告をしてみたり、さらには実際に企図し、実行するような真似はしません。
 
 
こうした「問題ある人物」の行動を私は知悉しており、二の轍を踏んで、その程度で収まるようなことはしないのです。
 
 
残念ながら、私は発達障害者ではない。
人の気持ちを理解し、空気を読み、意思疎通できる、「まともな」人なのです。
だからこそ、クリティカルな手段を立案し、実行できるのですよ。
 
このブロック依頼で私に賛成票を投じられた方、依頼を起こされた方に対し本質的にクリティカルな行為を実行し、自分が結果的に何を招いたのか、ということを骨の髄までご理解して頂く結果になるでしょう。
 
本当に、残念です。本当に、本当に、残念です。
 
 
以上の文章にはいろいろギミックが仕込んであるので、適当にお楽しみください。
私は首尾一貫して、有益な情報を提供することと、楽しみを提供することに注力してきました。
その目的が、最後のこの文章によっても達成できたということは、私にとって望外の幸せです。
 
それでも地球は回っているのだ。[[利用者:GcG|GcG]] 2010年3月6日 (土) 16:14 (UTC)
 
<!-- インクルード (C)ikedat98 しました
 
 
[[利用者‐会話:GcG/過去ログ1‎|■Log1(-January 2008)]]
 
== 投稿ブロックについて ==
[[ファイル:Octagon-warning.svg|left|30px|あなたは無期限ブロックされました。]]あなたは{{ #if: GcG 20100224 | [[Wikipedia:投稿ブロック依頼/GcG 20100224|投稿ブロック依頼]]に基づいて | }}無期限[[Wikipedia:投稿ブロック|ブロック]]され、ウィキペディアの編集が制限されました。ブロックが自動的に解除されることはありませんのでご留意ください。今後の対話ならびに異議申し立ては[[Wikipedia:メーリングリスト|メーリングリスト]]で受け付けます。ブロック中においても、あなたの会話ページでのみ、ウィキペディア内での投稿が可能な場合もあります([[Help:投稿ブロック|ヘルプ]])。会話ページにおけるブロック解除の方法については[[Wikipedia:ブロックへの異議申し立ての手引き]]をご覧ください。あなたが唯一、この会話ページでの編集を認められているのは、ここが投稿ブロックに関する対話や異議申し立ての場であるからです。それ以外の行動は、厳に慎まれるよう願います。--[[利用者:Bellcricket|Bellcricket]] 2010年3月6日 (土) 13:29 (UTC)
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