「グプタ朝」の版間の差分

加筆、世界歴史大系(山川)を参考に。
(→‎歴史: 少し加筆、世界各国史(山川)を参考に。)
(加筆、世界歴史大系(山川)を参考に。)
[[ファイル:Indo-Sassanid.jpg|300px|thumb|[[紫]]がグプタ朝の版図(ピンクは[[サーサーン朝]]、緑は[[東ローマ帝国]])]]
[[ファイル:Silver Coin curved profile of Kumaragupta.jpg|frame|right|クマーラグプタの肖像が刻まれた銀貨]]
'''グプタ朝'''(Gupta Empire)は、[[古代インド]]において、西暦[[320年]]から[[550年]]頃まで栄えた王朝である。[[イラン]]系の外来王朝であった[[クシャナ朝]]に対し、グプ朝はインドの土着王朝であった。グタ朝は[[君主制]]を強化し、[[ヴィシュヌ|ヴィシュヌ神]]を信奉し、[[バモン教]]を国教に、[[サンスクリット語]]を公用語に都とて栄え王朝である
 
== 歴史 ==
 
===経済===
商業、金融業、手工業が盛んであった。[[ローマ]]との季節風貿易は既に衰退していたが、インド洋における西アジア・東南アジアなどとの交易を通じ、沿岸沿いの[[港市]]繁栄した。[[金貨]]が盛んに鋳造されたほか、銀貨・銅貨も発行された。当初はクシャーナ朝の金貨にならったが、[[スカンダグプタ]]の治世からはスヴァルナと称される独自の金貨がられた。農村では、バラモンや宗教施設の管轄下に土地がおかれていき、低湿地や森林などの開拓が進められた。王朝の後期になると、[[フーナ]](エフタル)の侵入などによって都市網が衰退し、農業経済へと移行していった。
 
===社会===
== 美術と文化 ==
都市の商人・職人は、互助組織として「ニガマ」、「シュレーニー」といった組合を設けており、彼らが用いた印章が多く出土している。こうした組織は、都市行政にも関わっていたことが推測されている。一部の富裕化した人々は豪奢な生活を送り、文化の発展を支えることになった。農村社会では[[バラモン]]が指導的立場となった。辺境の未開地にまでバラモンの居住地が拡大したことは、地方における農業の発展や政治システムの伝播につながったとされる。
[[ファイル:Ajantamural.jpg|thumb|350px|right|アジャンター石窟寺院の壁画]]
 
=== 美術と文化 ===
[[ファイル:Ajantamural.jpg|thumb|350px250px|right|アジャンター石窟寺院の壁画]]
グプタ朝時代に栄えた美術は、これまで[[ギリシア]]文化の影響が色濃かった[[ガンダーラ|ガンダーラ美術]]に代わり、純インド的な仏教美術として知られ、[[グプタ美術]]、または「グプタ様式」と呼ばれる。代表的なものとして、[[アジャンター石窟]]寺院の壁画や「グプタ仏」と呼ばれる多くの[[仏像]]、特に薄い衣がぴったりとはり付いて肉体の起伏を露わにする表現を好んだ[[サールナート派]]の仏像が知られる。
 
3,064

回編集