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[[ファイル:Chugoku JR Bus - 641-5906.JPG|280px|right|thumb|ハイデッカー(いすゞ KL-LV781R2)]]
 
'''ハイデッカー'''(''high decker'')は、景観座席からの眺望くするため客室の床を高い位置に配置した[[バス (車両)|バス]]や[[鉄道車両]]のこと。ハイデッキカーを短縮してこう称する。「ハイデッ'''カー車'''」と呼ばれることもある。観光目的の[[2階建車両・路線]]られ全高を持つが、シングルデッキである。
[[観光]]目的の車両・路線から採用がはじまり、現在バスでは、[[観光バス]]([[ツアーバス]])や[[高速バス]]([[路線バス]])の主流であり、鉄道では、[[ジョイフルトレイン]]や[[グリーン]]車の一部に見られる。
 
本稿では、[[日本]]におけるバス車両のハイデッカーについて説明する。
なお、バスにおける「ハイデッカー」とは、主に客席床面にタイヤハウスの出っ張り出しが無い物をいう。
 
== 沿革 ==
日本のバス分野でのハイデッカーの登場は[[1960年]]([[昭和]]35年)前後に遡るとされるが、[[1964年]](昭和39年)には[[三菱ふそうトラック・バス|三菱ふそう]](ボディは[[三菱重工業]])が[[観光バス]]向けの[[オプション]]仕様として「セミデッカー」と呼ばれる部分高床車を設定、観光車のほか[[高速バス|高速路線]]車としても採用された。1976年(昭和51年)には[[いすゞ自動車]](ボディは[[いすゞバス製造|川重車体工業]])が全高3.3m・全室高床構造の「ハイデッカー I型」を発売、さらに翌1977年(昭和52年)には[[UDトラックス|UDトラックス(旧:日産ディーゼル)]](ボディは[[富士重工業]])や三菱ふそう(ボディは[[三菱自動車工業]])がこれに追随してフルデッカー型の車体を設定したことから、急速に全室高床車が普及していくこととなった。
 
== スーパーハイデッカー ==
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スーパーハイデッカーは、床面をさらに嵩上げし全高を3.6m以上に引き上げ、主に眺望と床下架装スペースの拡大(主に荷物室)を両立したバスの事である。上級仕様の観光車や夜行高速路線車などに幅広く採用されている。夜行高速車の場合、床下に[[便所|トイレ]]や仮眠室を設けている。[[2階建車両|2階建てバス]]とハイデッカーの中間的な高さから「中二階車」と呼ばれることもあるほか、かつては「2階'''だけ'''バス」と呼ばれたこともある。
 
スーパーハイデッカーは従来車に対して車高が高く車重が増すため、[[法令]]で定められた1軸10tまでという[[活荷重|軸重]]制限から、当初は後輪を2軸にした3軸車がメインであった。しかし3軸車は一般に走行安定性は良いものの、[[法令]]で定められた全長12mまでという制限下では床下架装スペースの減少を招き、全体の車重がさらに増すこと、タイヤ本数の増加による維持費の増加などの問題があり、その後2軸スーパーハイデッカーが開発されることとなった。当初は車高を3軸車に比べ若干下げる、補助席の定員を制限するなどの軽量化対策が採られていたが、前車軸を後方へ下げて[[ホイールベース]]を調整短縮、[[燃料]]タンクをフロント[[オーバーハング (自動車用語)|オーバーハング]]に移すことにより[[重心]]位置を適正化、軸重に余裕を持たせることに成功した。これにあわせ、[[タイヤ]]自体の許容荷重も引き上げられており、負担力が向上している。しかし、これらの変更で、[[ピッチング]]とハーシュネス(乗り心地のうち、突き上げ感)は増す結果となった。
 
=== 沿革 ===
[[ファイル:林田バスU-RD620UBN 鹿児島22き・676.JPG|280px|right|thumb|スーパーハイデッカー(日産ディーゼル・スペースウイング)]]
日本初のスーパーハイデッカーは[[1977年]]に[[大阪市|大阪]]の[[中央交通 (大阪府)|中央交通]]によって[[輸入]]された[[ネオプラン]]N116/3シティライナー(3軸車)といわれている。
 
その後、2階建てバスでは、1、2階部分の共に居住性の問題などに制約が出ることから、豪華観光バス向けとして、シングルデッキのスーパーハイデッカーに注目が集まることとなった。
 
[[1983年]]、[[バンホール]]アクロンが[[岐阜乗合自動車]]などに導入される。同車は国内初の全高3.6mの2軸スーパーハイデッカーである。
 
翌[[1984年]]に[[三菱自動車工業]](現・[[三菱ふそうトラック・バス]])から国産初のスーパーハイデッカーであるP-MS725S改型スーパーエアロIが登場する。[[三菱ふそう・エアロエース|エアロバス]]の車高を途中から上げ途中で傾斜の付いた独特の屋根形状が特徴である。さらに全体的に車高を上げたスーパーエアロ IIが登場する。スーパーエアロ IIは試作車にもかかわらずかなりの販売実績を残し、「[[ノクターン号]]」など夜行高速バスにも使われた。なおこのスーパーエアロは2軸車のため、軸重の関係から全高が3.5mに押さえられていた。
 
1984年に[[UDトラックス|日産ディーゼル(現:UDトラックス)]]はK-DA50T型を[[モデルチェンジ (自動車)|モデルチェンジ]]P-DA66U型を発売した。3軸車のため軸重に余裕があり日本製では初めて全高3.6mを実現したと同時に、初の型式承認を受けたスーパーハイデッカーであるとなった。なおK-DA50T型は1981年に登場した日本製では初の3軸車で、ハイデッカーから約200mmほど車高(床高さ)をアップしており、国産スーパーハイデッカーの先駆けであるとなった。P-DA66U型は翌1985年にモデルチェンジし、P-DA67UE型となった。前輪独立懸架となり、3軸車の強みを生かして重装備に対応し、今回から[[日産ディーゼル・スペースアロー|スペースウイング]]の名称が与えられた。車体はほとんどが富士重工業製だが、一部に[[西日本車体工業]]製が存在する。
 
1985年3月には三菱自動車からエアロクィーン Kが発売された。車体を呉羽自動車工業(現・[[三菱ふそうバス製造]])が担当し、[[三菱ふそう・エアロキング|エアロキング]]と共通性が高いデザインとなった。試作車扱いだが国産初の低[[操縦席|運転台]]、2軸車全高3.6mのスーパーハイデッカーである。
 
同年8月、[[日野自動車]]からブルーリボングランデッカーが発売される。全高3.6mの2軸車としては初の型式承認を得た車種となった。
 
同年10月、三菱自動車からエアロクィーン Wが登場する。三菱初の型式承認を得た同車は3軸車で、[[シャシ (自動車)|シャシ]]はエアロキングと共通であった。
 
1986年にはいすゞから同社初のスーパーハイデッカーである「[[いすゞ・スーパークルーザー|スーパークルーザー]]」が登場する。2軸車で重量に余裕を持たせるため、ホイルベースを短縮し、フロントオーバーハングに燃料タンクを設けているのが外観上の特徴である。また国際標準の10スタッドホイールが初採用となった。アイ・ケイ・コーチ([[いすゞバス製造]]を経て現・[[ジェイ・バス]])、富士重工業が車体を架装した。
 
1986年に西日本車体工業から、4メーカー全てのシャーシに対応可能なスーパーハイデッカーボディのSD-I型が登場する。ハイデッカー用シャシに架装される関係上、軸重の関係からスーパーエアロと同じく全高を3.5mとしに抑えている。
 
1988年に三菱自動車からP-MS729S型エアロクィーンMが登場する。軽量ボディに高出力エンジンで、当時増えていた[[夜行]][[高速バス]]に多く使われた。ほぼ同時期に西日本車体工業からP-MS729S型シャシに架装した、西工初の本格的な2軸スーパーハイデッカーSD-IIが登場した。SD-II型は「[[ムーンライト号 (高速バス)|ムーンライト号]]」など[[西日本]]で夜行高速バスに広く使われた。
 
=== 観光バスの高出力化競争 ===
1990年に日野自動車はブルーリボンRU6B系観光バスをモデルチェンジして、[[日野・セレガ|セレガ]]を発売する。なめらかな曲線の面で構成された前面デザイン、[[前照灯|ヘッドライトンプ]]と[[コーナリングランプ]]の一体化など、[[インダストリアルデザイン|スタイル]]を一新し、観光バスに新たなイメージを作った。
 
また[[ディーゼルエンジン|エンジン]]は前モデルのブルーリボン・グランデッカーが330ps330[[馬力|ps]]と出力不足であったため、特に夜行高速バス市場において、競合するエアロクィーン Mの355psに対して劣勢であった。そのためエアロクィーンMの355ps、それを大幅に上回る370psのエンジンを採用した。これにより、夜行高速車においてもある程度、エアロクィーン Mからシェアを奪うことに成功した。
 
この後、観光バスの高出力化競争が始まり活発化し[[自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質競争は特定地域における総量の削減等に関する特別措置法|自動車NOx・PM法]]が強化される[[1990年代]]末まで続くことになる。
 
== 関連項目 ==
* [[2階建車両|2階建てバス]]
* [[低床バス]]