「比叡山焼き討ち (1571年)」の版間の差分
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== 評価 ==
この挙については当時の比叡山が堕落していたことが指摘され、焼き討ちの責を比叡山に帰する指摘が多く行われている<ref name="hayashiya">[[林屋辰三郎]] 『日本の歴史 天下一統』</ref>。<!--山の堕落は多く指摘されるところだが、信長は、必ずしも、堕落にいかって攻め入ったわけではない。堕落があったので、比叡山側に責ありとする表現は当たらない。-->
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以上のように後世に肯定的な評価をする者がいる一方で、同時代の人間、山科言継は『言継卿日記』において「仏法破滅」「王法いかがあるべきことか」と焼討した事への不安と動揺を吐露し、天皇家でも信長の焼討を『御湯殿上日記』において
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