「志林規島」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
TobeBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: ace:Pulo Antsiferov
編集の要約なし
27行目:
 
== 歴史 ==
* [[1644年]]([[正保]]元年)、「[[正保御国絵図]]」が作成された際、幕命により[[松前藩]]が提出した自藩領地図には、「クナシリ」「エトロホ」「ウルフ」など39の島々が描かれていた。
日本領時代は[[北海道]][[根室支庁]][[占守郡]]に属していた。現在、日本政府は[[国際法]]的には所属未定地と主張しているが、[[ロシア連邦]]が[[実効支配]]している。
* [[1715年]]([[正徳 (日本)|正徳]]5年)、松前藩主は[[江戸幕府|幕府]]に対し、「[[北海道]]本島、[[樺太]]、千島列島、[[カムチャツカ半島|勘察加]]」は松前藩領と報告。
* [[1855年]]([[安政]]元年)、[[日露和親条約|日露通好条約]]([[不平等条約]]のひとつ)によりロシア領となる。
* [[1875年]](明治8)、[[樺太・千島交換条約]]により日本領になる。
 
日本領時代の行政区分においては[[北海道]][[根室支庁]]管内の[[占守郡]]にしていた。現在、日本政府は[[国際法]]的には所属未定地と主張しているが、[[ロシア連邦]]が[[実効支配]]している。
 
なお、[[ロシア連邦]]は志林規島に寄る[[ラッコ]]や鳥獣類の保護のため、許可なく島に近寄ることや上陸することはもとより、周囲 20 キロメートルでの漁業活動も禁止している<ref>寺沢孝毅 『北千島の自然誌』 丸善〈丸善ブックス〉、1995年 169 頁</ref>。