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中国政府が算出した依然として高い確率で発生する[[台湾独立運動]]、[[チベット]]、そして[[中国の人権問題]]といった政治的に敏感な難題にしばしば直面するたびに、温家宝は海外に向けて無料の記者会見を開く。2003年[[12月]]、温は[[アメリカ合衆国]]を初めて訪問した。この訪問のあいだに、温は[[中華民国総統]]の[[陳水扁]](当時)に対する軽い非難として、[[ジョージ・W・ブッシュ]]に問題を話すことができた。[[カナダ]]と[[オーストラリア]]への訪問も、ほとんどは経済問題であった。2005年[[3月15日]]、全国人民代表大会で2896の過半数(棄権2)であった[[反分裂国家法]]が可決されたあとに、温は「我々は外国からの干渉を望まないが、それを恐れない」と述べた。[[台湾問題]]に対するアメリカの姿勢を隠喩したものである。温は中国の標準にしては珍しく長い拍手を受けた。
[[File:Obama COP15 Jiabao.jpg|thumb|150px|right|[[アメリカ合衆国大統領]]の[[バラク・オバマ]](右)と([[2009年]][[12月18日]]、[[第15回気候変動枠組条約締約国会議|COP15]]にて)]]
 
[[File:Obama COP15 Jiabao.jpg|thumb|150px200px|right|[[アメリカ合衆国大統領]]の[[バラク・オバマ]](右)と([[2009年]][[12月18日]]、[[第15回気候変動枠組条約締約国会議|COP15]]にて)]]
[[2007年]][[3月5日]]、温は軍事予算を増やすことを発表した。2007年末までの軍事予算は、前年の450億ドルと比較すると17.8%上昇している。これはアメリカ国内で緊張状態を生んだ<ref>[http://news.yahoo.com/s/afp/20070305/ts_afp/chinacongressnpc_070305190447 Budget Increase]</ref>。
 
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=== 第2期 ===
[[ファイル:Tenzin Gyatzo foto 1.jpg|thumb|130px150px|right|[[ダライ・ラマ14世]]]]
2008年[[3月16日]]、中国の二期目の首相として任期5年を命ぜられた温家宝は、急上昇する[[インフレーション]]を抑えるためと、[[北京オリンピック]]で世界の国々で中国を目立たせるために努力した。温は、共産主義政治体制でさえ首相職が敵を作りやすい兆候であった2003年の首相就任時よりも、賛成票を多く得た。アメリカに端を発した経済危機による影響が世界でますます大きくなるにつれて、温は深刻な経済問題に直面した。社会の安定と、[[2008年のチベット動乱|2008年3月にチベットで発生した暴動]]では、政策面で大きな集中力が要求された<ref>[http://edition.cnn.com/2008/WORLD/asiapcf/03/16/china.politics.ap/index.html Wen gets second term as China's premier]</ref>。チベット騒乱のさなかの温は、「ダライ・ラマとその追随者が全ての分離独立活動を断念することを選ばない限り、彼らとの協議を拒否する」として、共産党政府の報道官として動いた。2008年[[3月18日]]、[[:en:2008 National People's Congress|第十一届全国人民代表大会一次全体会议]]のあとの記者会見の場で、温は[[2008年のチベット動乱|チベットでの暴動]]を受けて[[ダライ・ラマ14世]]とその支持者を非難し、「ダライ・ラマが『チベット独立』を放棄し、『[[台湾]]を中国不可分の領土と認める』なら対話してもいい」と発言した<ref>[http://edition.cnn.com/2008/WORLD/asiapcf/03/18/tibet.unrest/index.html Dalai Lama 'to resign' if violence worsens]</ref>。