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'''藤原 美都子'''(ふじわら の みつこ、[[天応 (日本)|天応]]元年([[781年]])-[[天長]]5年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]([[828年]])9[[10517]]))は[[平安時代]]初期の貴族女性、[[女官]]。[[藤原南家]]出身。父は[[藤原真作]]。父方の祖父は[[藤原仲麻呂の乱]]で処刑された[[藤原巨勢麻呂]]。夫は[[藤原冬嗣]]。
 
幼少期は斜陽の一族に産まれ不遇であったと推測されるが、藤原冬嗣の妻となり、3男1女を儲けると共に、自らの親族関係をももって冬嗣の政界工作に貢献したと考えられている。[[弘仁]]5年([[814年]])4月28日、冬嗣・美都子夫妻の邸宅である閑院第に[[嵯峨天皇]]が訪問し、その時に無位から[[従五位下]]に任官される(「[[類聚国史]]」)。後、[[内侍司#尚侍(ないしのかみ・しょうじ)|尚侍]]となり(「[[日本三代実録]]」[[貞観 (日本)|貞観]]13年([[871年]])9月29日条、「[[文徳天皇実録]]」[[嘉祥]]3年([[850年]])7月17日条)、[[嵯峨天皇]]、[[淳和天皇]]の2代の天皇に仕え(「[[尊卑分脈]]」、「[[一代要記]]」)後宮で権勢を振るった。冬嗣は艶福家であったが夫婦仲は良かったらしく、死後、美都子の遺言によりこの時代には珍しく冬嗣の墓に夫婦合葬された。後に[[従一位]]を贈られる。