「アリエノール・ダキテーヌ」の版間の差分

離婚のわずか6週間後に、アリエノールは11歳年下の[[アンジュー]]伯・[[ノルマンディー公]]アンリと結婚する。ルイ7世と近親婚を理由に離婚したが、アンリはルイよりも近い血縁関係にあった。後にアンリがイングランド王を継承して[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]となると、フランス国土の大半がイングランド領となってしまう。アリエノールのしっぺ返しだった。その後13年間に息子5人と娘3人を産むが、ヘンリーに愛人ができると夫婦仲は悪化し、[[1168年]]ごろ単身アキテーヌに戻ってしまう。
 
[[1170年]]の[[トマス・ベケット]]の[[暗殺]]はアリエノールを激怒させた。[[1173年]]、ヘンリー2世の名目上の共同統治者に指名されていた次男の[[若ヘンリー王]]が父ヘンリー2世に対して反乱をおこすと、アリエノールはこれに加わろうとした。しかしヘンリー2世に捕えられ、以降15年にわたって監禁された。[[1183年]]若ヘンリーが死去すると、今度は3男[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード]]の反乱を支援した。後にリチャードが即位し、[[第3回十字軍]]を率いて遠征すると、[[摂政]]として[[プランタジネット朝#アンジュー帝国|アンジュー帝国]]を統治した。
 
当時としては稀な長寿を全うし、末子の[[ジョン (イングランド王)|ジョン]]がイングランド王の時、1204年に80歳で死去。
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