「神戸海軍操練所」の版間の差分

→‎主な塾生: 通説的な意見や勝海舟自身の記述を覆すにはソースが不足。
(→‎主な塾生: 通説的な意見や勝海舟自身の記述を覆すにはソースが不足。)
 
== 主な塾生 ==
*[[坂本龍馬]]:塾頭。[[勝海舟]]に見出され、操船術を学ぶが、そのほとんどは我流であった。脱藩後の青春の舞台であった操練所の閉鎖と、師である勝の罷免は彼を失望させ、これ以後倒幕運動に本腰を入れ始める。操練所解散後は、ここでの経験を生かし[[亀山社中]]を結成。ただし、[[松浦玲]]などの意見を採用するならばこれに対しては、龍馬は神戸海軍操練所には入れず、勝海舟個人の私塾の塾頭でもなかった。実際のところまた、勝海舟の私塾を取り仕切っていたのは龍馬ではなく、[[佐藤与之助]]であったと考えられ説もある([[松浦玲]]など){{fact}}。しかし、勝自身が、『[[氷川清話]]』のなかで、坂本竜馬が塾頭であったと語っていることから、坂本が、神戸の海軍操練所あるいは、それに付随した塾と全く関係がなかったということはできないだろう。
*[[陸奥宗光]]:坂本の引き立てによって副長格となる。竜馬の秘書的な役割を担った。後の[[日清戦争]]時、[[外務大臣]]。
*[[伊東祐亨]]:[[薩摩藩]]出身。後に初代[[連合艦隊司令長官]]となり、[[黄海海戦 (日清戦争)|黄海海戦]]の指揮をとる。
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