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== 歴史 ==
=== 古代 ===
[[古代]]では、九州本島は'''[[筑紫島]]'''と呼ばれていた。はじめは[[筑紫国]]・[[豊国]]・[[肥国]]・[[熊曾国]]と呼ばれる古代勢力が存在していたが、[[続日本紀]]によると[[ヤマト政権]]が[[律令制]]を取り入れるにあたって[[西海道]]の一部となり、筑紫は[[筑前国]]・[[筑後国]]、豊国は[[豊前国]]・[[豊後国]]、肥国は[[肥前国]]・[[肥後国]]に分割され[[日向国]]の7国と島嶼部の[[壱岐国]]・[[対馬国]]の2国が成立(ただ日本書紀では律令制以前の推古17年、西暦609(609の記事に肥後國の記載あり)、[[824年]]以後は[[大隅国]]・[[薩摩国]]を加えた本土9国島嶼部2国となったとある。また、[[斉明天皇]]の時に[[百済]]復興の戦に備えるために筑紫国]][[朝倉橘広庭宮|朝倉宮]]に遷都し、ごく短期間であるが九州に初めて朝廷が置かれた。その後、現在の[[太宰府市]]には西海道を統轄し対外的な窓口と大陸からの防衛任務を兼ねて[[大宰府]]が設置された。また、663年の[[白村江の戦い]]以降に筑紫に[[水城]]や[[大野城]]を置き日本の防衛の最前線の役割を担った。
 
* [[吉野ヶ里遺跡]]
* [[熊襲]]・[[隼人]]
* [[防人]]
 
 
=== 中世 ===