「尾道渡船」の版間の差分

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== エピソード ==
* '''チャック'''(ズボンのチャック・ファスナー)という造語をした日本開閉器工場は、兼吉側桟橋を降りて直ぐ左側(東隣)にあった、現在パチンコ店の在る場所である。
* [[1999年]]の[[しまなみ海道]]開通イベント「兼吉レトロタウン」が、尾道渡船向島側広場で催され、予想を遥かに上回る集客となった。同渡船の施設は普段の姿でレトロを担った。
* 公営渡船開所時から半世紀以上勤務された船長さんがおられた。[http://tabisanpo.com/MENU/sannichi2009/20091205a.htm 山陽日日新聞]
* 2006年8月しまなみフェリー、2008年12月駅前渡船と相次いだ桟橋沈没事故の際には、両渡船の振替輸送を行った。
** ちなみに尾道渡船の両岸桟橋も、勤続半世紀である。
 
== 外部リンク ==