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'''ガイウス・センプロニウス・グラックス'''('''{{lang-la|Gaius Sempronius Gracchus
父は[[ティベリウス・センプロニウス・グラックス・マイヨル]]、母は[[コルネリア・アフリカナ]]([[スキピオ・アフリカヌス]]の娘)。また、姉はセンプロニア([[
== 経歴 ==
[[紀元前154年]]
=== 護民官に当選 ===
ガイウスは[[トリブヌス・ミリトゥム]]として[[ヌミディア]]に赴任したのが公的生活の始まりである。その後ローマに戻り、[[紀元前126年]]に[[クァエストル]]職に当選、つつがない数年を過ごす。そして[[紀元前123年]]に[[護民官]]に当選し、当然の事だが、保守派は再び
構想としてガイウスは形骸化してしまったセンプロニウス農地法だけでなく、穀物の価格を統制する法案、市民の軍役年数に制限を加える法案も成立させようとしていた。また司法に関しても[[元老院]]の不正・横領を告発でき、また元老院議員たちが仲間内でかばいあうことを防ぐ法案も考えていた。彼の法案では身分の低い[[エクィテス]]の者でも法規の草案に携わることができるとした。彼はまたローマ市民権を他のイタリア内の同盟都市にも広げようとしていた。このすべてが元老院を反発させた。
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{{DEFAULTSORT:くらつくす かいうす}}
[[Category:
[[Category:センプロニウス氏族]]
[[Category:紀元前154年生]]
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