「ダグラス・マッカーサー」の版間の差分
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→フィリピン反攻: 日本軍は終戦まで残存した。 |
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[[1944年]]のフィリピンへの反攻作戦については、[[アメリカ陸軍]]参謀本部では「戦略上必要無し」との判断であったし、[[アメリカ海軍]]もトップの[[アーネスト・キング]]をはじめとしてそれに同意する意見が多かったが、マッカーサーは「フィリピン国民との約束」の履行を理由にこれを主張した。ルーズベルトは1944年の大統領選を控えていたので、国民に人気があるマッカーサーの意をしぶしぶ呑んだと言われている。
マッカーサーは10月23日に[[セルヒオ・オスメニャ]]とともにフィリピンの[[レイテ島]]の[[レイテ湾]]に上陸し、フィリピンゲリラにも助けられたが、
=== GHQ最高司令官 ===
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