「長生郡」の版間の差分

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しかし、[[2004年]][[9月24日]]、茂原市議会が「協議会からの離脱を求める決議案」を可決、[[10月1日]]に協議会からの離脱を表明したことで合併協議は停止し、法定協議会は同年[[12月24日]]に廃止された。茂原市議会が協議会離脱を決めた背景としては、合併の期日や多額の債務を抱えていた茂原市土地開発公社の合併後の取り扱いについて、協議の場において他町村と意見の一致を得られなかったことなどがある。
 
この合併協議の破綻後、茂原市を中心とした小規模な合併や7市町村による合併を目指して協議を行うことが各市町村で検討され、[[2007年]][[4月10日]]には再び法定協議会である「長生郡市合併協議会」が設置された。しかし、長生村は、合併反対を公約に村長が当選した経緯もあり最初から「合併することが住民の利益になるのか、ならないのかの判断材料を見出す目的」で参加したとされるように消極的で、最終的には8月10日に住民アンケートで反対が多数を占めたことを理由に離脱を表明。その後、残る6市町村での合併が模索されたが、その前提となる規約変更議案を一宮町と白子町が否決したために暗礁に乗り上げ、9月28日をもって休止、そして[[2008年]][[1月31日]]に3月末をもって、合併協議会を廃止することが決定、合併協議会は廃止された。この破綻の背景には、前回の協議会が各市町村同数の委員だったのに対し、学識経験者が茂原10人、他町村2名だったこと、議事決定も3分の2から過半数に変えられたこと、新市名の決定も公募の多数決で茂原市となるなど、前回に比べ茂原市に有利な運営が行われたことにある。もし、長生7市町村が合併していたら、2010年3月23日で千葉県から村がゼロになる見通しだった。
 
== 関連項目 ==