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'''民主正義党'''(みんしゅせいぎとう)は、[[大韓民国]]の[[政党]]で、[[全斗煥]]政権・盧泰愚政権前半期の[[与党]]。新軍部勢力が中心となり、民族・民主・正義・福祉・統一の5大理念を掲げて[[1981年]][[1月15日]]に結成した。略称は「'''民正党'''」(みんせいとう)。なお[[1997年]]に結成された保守政党で、[[李明博]]政権(2008~)与党の[[ハンナラ党]]は、一定の範囲内で民正党の流れを受け継いでいる。
 
== 歴史 ==
1981年[[2月25日]]、大統領選挙人団の間接投票で行われた大統領選挙では、他の3人の候補を抑えて全斗煥が90.2%の得票率で大統領に当選、翌月の[[3月25日]]の第11代総選挙では、地域区の第1党に全国区の3分の2を配分する選挙制度によって過半数を制した。
 
党名は、「[[社会正義]]を具現する」との全斗煥の考えを反映している。この「社会正義」の実践として、全斗煥の政権掌握直後には、多数の[[ヤクザ|やくざ者]]や[[ホームレス]]、[[非行]]少年が強制収容所([[三清教育隊]])に送られた。
 
[[政策]]は抑圧的であった。[[夜間外出禁止令]]の解除や、[[中学校]]・[[高等学校]]の[[制服]]廃止などで、自由化ポーズを示した。しかし、夜9時からの[[韓国放送公社|KBS]]ニュースでは必ず全斗煥の動静をトップで報道([[テン全ニュース]])させ、全斗煥に似た[[コメディアン]]の[[テレビ]]出演を禁止し、[[反体制]][[政治家]]・[[学生運動]]家は容赦なく厳罰に処した。他党にも[[政権]]担当の道は開いていたものの、[[選挙制度]]が極めて与党に有利であり、選挙結果は必ずしも民意を反映していなかった。学生運動家からは「[[殺人]]政党」と非難された。