「槍奉行」の版間の差分

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[[老中]]の支配を受け、2000石高で、菊の間南敷居外席。[[寛文]]9年([[1669年]])に4人が任命されて以後、定員は3~5人と時代によって変化した。寛文6年([[1666年]])には役料500俵が支給されたが、[[天和 (日本)|天和]]2年([[1682年]])に支給は停止。[[慶応]]2年([[1866年]])に廃職。
 
幕府における[[槍]]に関する事務をつかさどったが、平時においては[[閑職]]であったようである。長柄槍組同心と[[八王子千人同心]]頭を統括した。
 
奉行1人につき10人の[[同心]](30俵2人扶持)が配属された。