「渡辺久信」の版間の差分

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* [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]ものの[[文庫本]]を常時携行し読み漁っている。部下を大切にする[[武田信玄]]に、あるべきリーダー像を求めている。逆に[[織田信長]]は嫌い。
* 西武時代のチームメイトだった工藤公康からは「今までやってきた27年間の中でプロ野球投手としては最高の存在」と高い評価を受けている。工藤によると、素質・筋肉の質・関節の柔軟性(後人気とか)をどれを取っても一流で、肺活量は7,500cc(通常プロは6,000cc前後)もあったという。また、工藤は「もう時効だから言いますけど、アイツ中学生の頃から喫煙していたにもかかわらず肺活量が並外れていて、それでいて筋肉の質も超一流。シーズン200イニング以上投げておきながら、試合後はまったくマッサージを受けないで平気でした。僕がマッサージを受けてる横から「工藤さん、お先です」って行って飲みにいってしまったの。今では200イニング投げるピッチャーっていませんよ」と述べている<ref>文藝春秋2008年5月号 工藤公康・あさのあつこ対談「バッテリーは永遠の友情の絆」</ref>。
* 怒らないことを指導方針としているが、プロ意識を欠いた人間を非常に嫌う人物である。台湾時代、素質十分で練習しなくても活躍し、そのため首脳陣も何も口を出さなかった新人投手を呼びつけて「お前がどんなに優れた才能を持っていても、今の態度じゃ俺達のチームはお前なんていらない」と叱ったり、エラーをした後ファインプレーをした三塁手がコーチと[[ハイタッチ]]しているのを見て試合後「こんな馴れ合いの環境じゃ、絶対に強くなれないぞ!」と怒鳴りつけたこともある。西武の二軍監督時代からもその方針は変わらないため、二軍から一軍上った選手は、一軍の渡辺監督のあまりの豹変っぷりに戸惑っていた、と渡辺自身は話している。
* 同様に選手に対しては無闇に怒らないと自述しているが、それに対して試合中の[[審判]]とのトラブルは非常に多い。また、2008年シーズンには年長の[[王貞治]]と口論する場面すら見受けられた(試合中に王と口論した監督は、他には王の胸倉を掴んだ[[星野仙一]]だけである)。また、同年のシーズンに口論には至らなかったものの[[野村克也]]にも気性をたしなめられる場面があった。このように、自著のタイトルにある「怒らない」とは裏腹に、現場・試合中では闘将ぶりを発揮している。
* 女性のライオンズファンを増やすことに躍起になっており、2008年後半の1位体制が固まりつつあった時期のチーム広報のインタビューに「まだまだ残念ながらメディアからの要請は全然(無い)。中島も片岡も涌井も岸ももっともっと人気が出ていいはず。ウチはいつでも(取材等を)待ってます」と語っていた。具体的な提案もしており、{{要出典範囲|例えば女性の入場料を半額にすることや西武[[西武池袋線|池袋]]・[[西武新宿線|新宿線]]に朝[[ラッシュ時]]のみ設定されている[[女性専用車両]]を終日設定し、女性が安心して野球観戦に行けるように球団社長に訴えている|2009年11月25日 (水) 22:38 (UTC)}}。西武球団では2009年シーズンより、女性を対象としたファン参加イベントを開催している。