「清原和博」の版間の差分

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2005年4月21日の対阪神戦で、2対10と巨人が敗色濃厚のゲームで、二死満塁、カウント2-3での場面で、[[藤川球児]]にフォークを投げられて三振を喫した際に「8点差、ツーアウト満塁でフォーク、'''[[陰茎|チンコ]]ついとんのか!!'''」との発言が物議をかもし、「八百長の強要ではないか」とまで批判するものもあった。また、自分の実力を棚に上げた野球への取り組み姿勢も大いに疑問視された。
ケガで復帰した8月4日の対広島戦で、4回表に本塁打を放ち、ダイヤモンドを一周した後、ベンチで堀内との[[ハイタッチ]]を拒否した。7番打者で起用されたことに激怒したとされているが、この本塁打が巨人時代最後の本塁打となってしまった。結局これらの素行の悪さが響いてか、シーズン終了を待たずに球団から[[戦力外通告]]を受け、12月に正式に[[自由契約]]選手として公示された。
 
清原は巨人からの戦力外通告について引退の翌年に[[関西テレビ放送|関西テレビ]]で放送された『男の一升瓶』という清原を特集した特別番組で、「視聴率が取れなくなったからという理由で辞めさせられるのは悔しい」と後輩の片岡篤史たちに語り、同番組内にて「巨人は富士山と一緒で、遠くから見れば綺麗。けど登ってみるとゴミだらけ」と発言した。しかし、「巨人に入団して後悔しているか」との質問に対しては「No」と回答、「巨人時代の苦労が自分自身を成長させてくれた」と語っている。清原の巨人在籍期間は9年で、FA移籍における移籍先在籍の最長記録である。