「大韓帝国」の版間の差分

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|略名 = 大韓帝国
|日本語国名 = 大韓帝国
|公式国名 = '''{{Lang|ko|大韓帝國}} ({{Lang|ko|대한제국}})'''
|建国時期 = 1897年
|亡国時期 = 1910年
|変遷3 = [[ハーグ密使事件]]
|変遷年月日3 = [[1907年]][[6月]]
|変遷4 = [[伊藤博文]][[暗殺]]
|変遷年月日4 = [[1909年]][[10月26日]]
|変遷5 = [[韓国併合|日韓併合]]により消滅
|変遷年月日5 = [[1910年]][[8月29日]]
|通貨 = [[ウォン#大韓帝国ウォン|圓]]
|時間帯 = 8:30
|夏時間 =
|時間帯追記 =
|注記 =
}}
'''大韓帝国'''(だいかんていこく、{{Lang-ko|'''대한제국'''}}、テーハンジェグク)とは、[[1897年]]から[[1910年]]までの間[[李氏朝鮮]]が使用していた[[国号]]。'''大韓国'''({{Lang|ko|대한국}}、テーハングク)、'''韓国'''({{Lang|ko|한국}}、ハングク)とも言った。また、現在の[[大韓民国]](韓国)と区別するため、「旧韓国」と呼ばれることもある。[[清]]の[[冊封国]]時代と[[日本統治時代の朝鮮|日本統治時代]]の狭間の短い時期であり、[[朝鮮半島]]最後の[[君主制|専制君主国]]である。
 
== 概要 ==
=== 李氏朝鮮時代と日清戦争 ===
{{Main2|朝鮮国としての詳しい歴史については''[[李氏朝鮮]]''を}}
朝鮮国は[[1875年]](明治8年)の[[江華島事件]]により、翌[[1876年]](明治9年)に[[大日本帝国|日本]]と結ぶことになった[[日朝修好条規]]を始め、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[フランス]]などの[[欧米]]諸国と[[不平等条約]]を結ぶことになった。朝鮮国内では清との宗属関係を脱して近代化をすべきだという者([[開化派|開化党]])と清との宗属関係を維持すべきだという者([[事大党]])とが対立、そうした中で[[1882年]](明治15年)、[[壬午事変]]が起こり、日本と清の両国はこれを鎮圧することを理由として出兵、日本と清の対立は決定的となった。そして、[[1894年]](明治27年)に[[日清戦争]]が勃発し、[[1895年]](明治28年)に日本が清に勝利、[[下関条約]]を締結した。この条約により、日本は清に朝鮮が自主[[国家|独立国]]であることを認めさせた。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等を廃止させた。これは、当時の朝鮮半島が明治日本及び清朝が共に自らの勢力圏におさめようと画策する日清両国の角逐の場であったため、この戦争の勝利により半島における清朝の影響を排して日本の権益伸張を確立するためであった。
 
=== 冊封体制からの離脱 ===
 
=== 韓国併合と併合後 ===
[[1910年]](明治43年)の[[併合ニ関スル条約]](日韓併合条約)の締結により日本に[[韓国併合|併合]]され、大韓帝国は滅亡した。大韓帝国の皇帝は、日本において1910年(明治43年)の[[詔勅]] ([[s:前韓國皇帝ヲ册シテ王ト爲シ皇太子及將來ノ世嗣、太皇帝及各其儷匹ノ稱呼ヲ定メ竝ニ禮遇ノ件|前韓国皇帝ヲ冊シテ王ト為シ皇太子及将来ノ世嗣、太皇帝及各其儷匹ノ称呼ヲ定メ並ニ礼遇ノ件]])により、昌徳宮李王に遇された。
 
== 年表 ==
**7月 [[高宗 (朝鮮王)|高宗]]が皇帝を退位し、[[純宗 (朝鮮王)|純宗]]が皇帝に即位。
**同月 [[第三次日韓協約]]が成立する。
*19101908年(明治4341年) '''[[日韓併合条約]]'''により、日本に併合される。
**4月 [[韓国標準時]]が制定される。
*1910年(明治43年) '''[[韓国併合ニ関スル条約|日韓併合条約]]'''により、日本に併合される。
 
== 政治 ==
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