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[[ファイル:0201trajan.jpg|thumb|right|[[トラヤヌス]]のデュポンディウス貨]]
[[ファイル:Dupondius-Didius Julianus-RIC 0012.jpg|thumb|[[ディディウス・ユリアヌス]]のデュポンディウス貨(紀元193年)]]
'''デュポンディウス'''(dupondius)は、[[共和政ローマ]]から[[ローマ帝国]]にかけて使われた[[黄銅|真鍮]][[硬貨|貨]]で、2[[アス (青銅貨)|アス]]の価値がある(2デュポンディウスで1[[http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/E005.htm セステルティウス]]、8デュポンディウスで1[[http://www.augustus.to/mamechishiki/coinhistory_teisei.html デナリウス]])。その名はラテン語で「2ポンド」の意味である。
 
デュポンディウスは共和政時代に大型の[[鋳造]]貨幣として導入されたが、当初からその重さは2ポンドに満たなかった。表面には[[ローマ (ローマ神話)|ローマ]]の胸像、裏面には6本スポークの[[車輪]]が描かれていた。[[共和政ローマ]]時代には、最初に造幣された後は全く鋳造されなくなった。
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[[紀元前23年]]ごろの[[アウグストゥス]]の貨幣改革で、デュポンディウスとセステルティウスは金色に輝く銅合金で造幣されるようになった。これを当時のローマ人や貨幣研究者は[[オリハルコン|オリカルクム]]と呼び、現代では[[黄銅]]と呼ぶ。その後は、赤みがかった銅貨になった。ただし、[[アウグストゥス]]の時代にも[[銅]]製のデュポンディウス貨が一部鋳造され、[[ネロ]]帝の時代には[[アス (青銅貨)|アス]]を[[銅]]ではなく[[オリハルコン|オリカルクム]]で鋳造したこともあった。後者は若干小さいことと材質でのみ識別できる。
 
デュポンディウスは[[アス (青銅貨)|アス]]とほぼ同じ大きさであり、[[ネロ]]の治世中の[[66年]]に発行されたものは皇帝の胸像で放射状の冠を加えて区別していた。放射状の冠を使って2倍の価値を表すという方法は、[[http://www.augustus.to/mamechishiki/coinhistory_teisei.html アントニニアヌス]]貨(2デナリウス)や2セステルティウス貨 ([[:en:double sestertius|en]]) でも採用されている。デュポンディウスは[[ネロ]]以前にも鋳造されているしその後も作られたが、放射状の冠を加えておらず、[[アス (青銅貨)|アス]]との区別が難しかった。また、[[緑青]]に覆われて本来の色がわからないことが多かった。
 
[[マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス]]治世下の154年か155年の非常に珍しい保存状態のよいデュポンディウス貨が、2007年にロンドンの [[:en:Draper's Gardens|Draper's Gardens]] の発掘現場で見つかった。