「わたしが・棄てた・女」の版間の差分

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大学生の吉岡努は、拾った芸能雑誌の文通欄に名前のあった森田ミツと知り合い、2度目のデートの際、裏通りの安旅館に連れ込み、強引に体を奪った。しかし、やや小太りで田舎臭いミツに魅力を感じるどころか嫌悪感すら覚えた吉岡は、以後一切彼女に会うことをしなくなった。吉岡を一途に愛し続けるミツであったが、彼女の手首には赤いあざがあった。
 
大学を卒業した吉岡は、勤め先の社長の姪である三浦マリ子と親しくなり、かつてマリ子がミツと共に同じ石鹸工で働いたことがあることを知る。さらに当時開業したばかりのトルコ風呂へ行き、トルコ嬢から、ミツがここでも働いていたと知る。ミツが気になる吉岡は、ある日ミツと再会するが、彼女は[[ハンセン病]]の疑いがあり、精密検査のために[[御殿場]]の病院に行かなければならないことを涙ながらに訴えた。そんなミツに対し吉岡は、おざなりな慰めの言葉をかけ、逃げるようにその場を立ち去った。
 
はじめは病院に強烈な抵抗を抱いていたミツだが、次第に解け込むようになる。だがその矢先にミツは誤診であり、ハンセン病ではないことがわかる。それまでにない喜びを感じ東京へと戻ろうとするミツだったが、急に孤独感を深め、患者としてではなく今度は奉仕の日々を送る修道女たちを手伝うために、病院へと戻ってしまう。マリ子と結婚した吉岡は、ミツのことが気になり年賀状を送るが、ひとりの修道女から返事が届き、ミツが交通事故で死亡したことを知る。その長い手紙には、命の灯が消える間際、ミツの遺した言葉が記されていた。
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なお、このヒロイン森田ミツは、実際にハンセン病と診断されながらも誤診で、のちに看護婦になった経歴を持つ[[井深八重]]がモデルとなっている。遠藤自身が最も好きな登場人物であると語り、のちの作品にも同じ名前の人物がしばしば登場する。
 
== 「トルコ風呂」の改変 ==
現行の講談社文庫版、『遠藤周作文学全集』所収の版では、「トルコ風呂」が「ソープランド」に変えられている。これは1984年トルコ人青年の抗議によって改名したからだが、開業当初のトルコ風呂は現在のソープランドのような売春施設ではなかったから、不適切な改変だと指摘されている(小谷野敦『反=文藝評論』、伊藤裕也『娼婦学ノート』)。なお小谷野も伊藤も、吉岡が1950年にトルコ風呂へ行ったと見て、トルコ風呂開業は1951年なのでおかしいと指摘しているが、これはテクストの誤読で、1951年以降と読むことができる。
 
== 初出・書誌 ==