「ハングル」の版間の差分

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主に民衆の書記手段として用いられたハングルであるが、支配層におけるハングルの使用も少なくない。国王の記したハングル書簡としては、[[世祖 (朝鮮王)|世祖]]の『[[上院寺御牒]]』(1464年)、[[宣祖]]の『[[御筆諺簡]]』(1603年)などをはじめとした筆写文献が現存している。また、[[李珥]]([[李栗谷]])、[[権好文]]、[[金尚容]]ら両班の文化人が[[時調]](朝鮮の詩歌で和歌のようなものに当たる)を詠む際にも、ハングルが利用された。
 
ハングルによる文学作品も李朝を通して世に出ている。ハングル創製初期の詩歌『[[竜飛御天歌]]』、『[[月印千江之曲]]』は上述の通りであるが、それ以降にも『[[杜詩諺解]]』(1481年)などの翻訳漢詩集が刊行されている。[[中宗 (朝鮮王)|中宗]](在位1506年-1544年)以降の作品として{{lang|ko|[[金絿]]}}(1488年-1534年)の「花田別曲」、[[李賢輔]](1467年-1555年)の「漁夫歌」、[[李滉]](1501年-1570年)の「陶山十二曲」など、数々の詩歌が残っている。ハングル小説として本格的な嚆矢さきがけとなったのは{{lang|ko|[[許イン|許筠]]}}(1569年-1618年)の『[[洪吉童伝]]』があり、また日記文学『[[癸丑日記]]』なども17世紀から見られる。その他にも『[[春香伝]]』、『[[沈清伝]]』(いずれも年代未詳)など[[パンソリ]]を起源とする小説がハングルによる書籍として刊行されたりもした。
 
開化期になると民族意識の高揚とともにハングルが広く用いられるようになる。[[開化派]]と[[井上角五郎]]の協力により、朝鮮初の近代新聞(官報)である『[[漢城周報]]』(1886年創刊)が発行され、これには漢文のほかにハングルのみによる朝鮮文が採用された。それまで公的な文書においてハングルが正式に用いられることがなかった朝鮮において、政府の関与した文書にハングルで記された朝鮮文が採用された意義は大きい。また、『漢城周報』では漢文的要素の強い朝鮮文である「国漢文」と呼ばれる新たな文体も同時に創作・採用された。国漢文の創作・採用に当たっては日本の漢文書き下し文の文体を参考にしたと見られるが、そのような経緯には[[福澤諭吉]]門下の井上角五郎の助力があったと見られる<ref>稲葉継雄(1987)「[https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/handle/2241/13533 井上角五朗と『漢城旬報』『漢城周報』 : ハングル採用問題を中心に]」,『文藝言語研究』言語篇,筑波大学文藝・言語学系</ref>。しかしながら、国漢文は漢文の素養を必要とする文体であったため、一般に広く流布するには至らなかった。1896年に創刊された『[[独立新聞]]』はハングルと英文による新聞であった。これは分かち書きを初めて導入した点でも注目される。公文書のハングル使用は、[[甲午農民戦争#甲午改革|甲午改革]]の一環として1894年11月に公布された勅令1号公文式において、公文に国文(ハングル)を使用することを定めたことに始まる。
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