917
回編集
m (ロボットによる 追加: tr:Sovyet partizanları) |
|||
ベラルーシには深い森林や沼沢地が多く、[[モスクワ]]に繋がる道路や線路が集中しているためソ連政府はパルチザン活動が重要になると考え、「種子部隊」を派遣して[[バルバロッサ作戦]]の際に取り残された赤軍兵士と合流させ、後方のかく乱を行ったが、戦線がさらに遠のくと支援が得にくくなり、[[1942年]]3月まで大規模な支援は得られなかった。
赤軍のラジオ放送は同年四月まで届かず、地元の人々の支持を得られなかった
[[File:Soviet_guerilla.jpg|thumb|200px|[[ベラルーシ]]の森林で戦闘に参加するパルチザン兵、[[1943年]]]]
[[1942年]]春、独ソ戦1年目の経験から派遣隊は[[旅団]]に統合され始めた。部隊の調整や増強、再
[[1943年]][[1月]]の時点でパルチザン兵士5万6千人中
== ロシア ==
[[ブリャンスク]]方面では、パルチザンはドイツ軍
[[1943年]]に赤軍がロシア西部と[[ウクライナ]]北東部の解放に着手すると、フョードロフ、サブロフ、メドヴェージェフらは独軍占領下のウクライナ中部・西部に移動してパルチザン活動を続けるよう命令された。
|
回編集