「レダと白鳥」の版間の差分

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[[ミケランジェロ]]の作品にも、同じく現存せず意図的に破棄されたと思われる『レダと白鳥』がある。1529年にフェラーラ公[[アルフォンソ1世・デステ|アルフォンソ・デステ]]が、[[フェラーラ]]にある自身の宮殿のために依頼した、レダと白鳥をモチーフとした[[テンペラ|テンペラ画]]である。この作品のためにミケランジェロが描いたラフ画は弟子のアントニオ・ミーニに渡された。1533年にミーニが死去するまで、フランス人の[[パトロン]]のためにミケランジェロのラフ画を模写していたこともあって、このラフ画は百年以上保管されていた。
 
この絵画の構図は多くの模写、模造によって知られている。コルネリス・デ・ボスの版画(1563年ごろ)、[[バルトロメオ・アマナティ ([[:en:Bartolomeo Ammanati|en:Bartolomeo Ammanati]]) の大理石彫刻([[バルジェロ美術館]]、フィレンツェ)、若年の[[ルーベンス]]がイタリア滞在時に模写した二枚の絵画(1530年ごろ、[[ナショナルギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]、[[ロンドン]])などである<ref>Elfriede R. Knauer, "Leda" ''Jahrbuch der Berliner Museen'' '''11''' (1969:5-35) illustrates several copies as well as an engraving of a Roman bas-relief and examples of antique engraved gems that seem to have provided Micelangelo's inspiration and gives a full bibliography of Michelangelo's ''Leda''.</ref>。1530年ごろに描かれたこの作品で、レダは[[マニエリスム]]の特徴とも言える、長く引き伸ばされてねじれたポーズで描かれており(「蛇のような人体 ''figura serpentinata''」)、これはその当時よく見られた表現手法であった。さらにプラドにあるローマ時代の彫刻群はミケランジェロの作品であると、少なくとも19世紀までは信じられていた<ref>It belonged to [[ジョン・エヴァレット・ミレー|John Everett Millais]] and was included in his 2007 [[テート・ブリテン|Tate Britain]] exhibition. Now London, attributed to a 16th-century "follower of Michelangelo".</ref>。
 
[[ファイル:Correggio 038.jpg|thumb|コレッジョの絵画(1531年 - 1532年) [[絵画館 (ベルリン)|絵画館]](ベルリン)]]