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en:Akazuの07:15, 30 March 2010 とja:ジェノシデールの2010年3月19日 (金) 15:24 を一部参考にして作成。アカズ (英語 : Akazu)とは、元ルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナと妻のアガ
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2010年3月31日 (水) 10:02時点における版

アカズ (英語 : Akazu)とは、元ルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナと妻のアガト・ハビャリマナ(en:Agathe Habyarimana) の血縁者を中心とした、フツの非公式な政治権力の中枢組織である。この組織のメンバーや関係者は、その多くが1994年のルワンダ虐殺に加担した疑いが持たれている。なお、"アカズ"とはルワンダ語およびルンディ語で"小さな家"を意味する。

概要

アカズはハビャリマナ元大統領夫妻の近親者や同県の出身者からなり、メンバーらはフツ政権の要職を歴任した。また、国内のツチや、ウガンダからの侵攻者であるルワンダ愛国戦線の人員、あるいはアカズ関連者以外のフツとの政権共同運営を望まなかった。研究者によれば、1994年に引き起こされたルワンダ虐殺の基礎となったフツ・パワーイデオロギーや、ルワンダ虐殺における人道に対する罪は、アカズが自身らの権力を維持するためのものであったという[1]。1993年のアルーシャ協定の成立による権力基盤の喪失を危惧したアカズは、同協定の交渉や締結に対して強く反対したほか、ルワンダ虐殺のジェノサイドでも主要な役割を果たしたことが明らかとなっている[2]

アカズに含まれる人物

上の定義からも明らかであるように、アカズはその範囲が明確に定義されておらず、メンバーも固定されていなかった。そのため、ハビャリマナ大統領夫人の兄弟であり、多くの研究者の間でアカズの中核的な人物であるとみなされているジギラニラゾ、サガトゥワ、ルワブクンバの3人を除き、どの人物が含まれるかは研究者により異なっている。しかしながら、多くの研究者間で共通する点として、ハビャリマナ大統領夫妻の近親者が多い点、軍関係者が多い点、ハビャリマナ大統領夫妻の出身地であるギセニ県および同県に隣接するルヘンゲリ県の出身者が多い点、ハビャリマナ大統領と年齢が同一もしくはやや下の者が多い点が知られている[3]。以下にアカズとして言及された者のうちの一部を記す。

脚注

  1. ^ De Figueiredo & Weingast. (1999). The rationality of fear: Political opportunism and ethnic conflict. In (Eds.) Walter & Snyder, Civil wars, insecurity and intervention. Columbia University Press. p. 261
  2. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』p.241
  3. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.240-241
  4. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.305-306。
  5. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.417-418。
  6. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』p.416。
  7. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』p.415。
  8. ^ 武内進一「アカズ人名録 ハビャリマナ体制とルワンダの虐殺に関する資料」『アジア経済』48巻9号、ジェトロ・アジア経済研究所、2007年9月、p54。[1]
  9. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』p.410。
  10. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』p.306。
  11. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』pp.395。
  12. ^ APF通信 (2008年12月18日). “ルワンダ大虐殺の中心人物に終身刑、国際犯罪法廷”. 2010年3月15日閲覧。
  13. ^ 『現代アフリカの紛争と国家』p.243
  14. ^ Rewards for Justice "Félicien Kabuga"

参考文献

  • 武内進一『現代アフリカの紛争と国家 ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』、明石書店、2009年2月。
  • 松村高夫、矢野久『大量虐殺の社会史 戦慄の20世紀』MINERVA西洋史ライブラリー、ミネルヴァ書房、2007年12月。
  • 武内進一「アカズ人名録 ハビャリマナ体制とルワンダの虐殺に関する資料」『アジア経済』48巻9号、ジェトロ・アジア経済研究所、2007年9月。[2]
  • 饗場和彦「ルワンダにおける1994年のジェノサイド」『徳島大学社会科学研究』第19号、2006年1月[3]

外部リンク