「ジョン・マーシャル (政治家)」の版間の差分

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マーシャルは、第2代大統領[[ジョン・アダムズ]]によって、1801年1月20日に[[連邦最高裁判所]]長官に任命された。連邦最高裁判所でマーシャルは、憲法解釈を通じて連邦の権限を確保し、連邦司法部および合衆国憲法の権威確立について大きな貢献を行なった。彼は一連の歴史的な諸判決を通じて、当時極めて弱体であった司法府を、議会(立法)や大統領(行政)と同等の影響力を持つ独立した地位へと高めてゆく、最初の一歩を踏み出したのであった。
 
彼の下した判決で最も著名なものは、[[マーベリー対マディソン事件|マーベリー対マディソン判決]]である。連邦法に対する違憲立法審査制度の原理は、マーシャルの「憲法に反する法律は法ではない」という法廷意見によって端的に表された。当時までの連邦最高裁判所においても連邦法の合憲性を判断する事例は存在したものの、違憲としたことは初めてであり、その理論づけを彼が法廷意見において詳細に述べた(いわゆるMarshall's Opinion)ところに価値がある。つまり、マーシャルの判決により、理論的な意味において、連邦最高裁判所に[[違憲審査制|違憲立法審査権]]が確立されたのである。
 
その後、独立間もない[[アメリカ合衆国]]は、それぞれの地域の権益によって引き裂かれる恐れにしばしばさらされた。マーシャルは再三にわたって[[合衆国憲法]]の条項を広く解釈し、一定の分野において州政府に対する[[連邦政府]]の優位を確保した。今日最も重要な憲法の解釈の多くは、マーシャルが解釈したものであり、後世においても、最も著名な連邦最高裁判所長官となった。