「タイロン・パワー」の版間の差分

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1931年、映画界入りする父に同行し[[ハリウッド]]に向かう。間もなく父は急死するが、彼はしばらくハリウッドに留まり、数本の映画に脇役として出演する。
 
その後[[ブロードウェイ]]の舞台に出演していた時に[[20世紀フォックス]]にスカウトされ、「勝鬨」での好演で若手スターとして売り出した。「[[スエズ (1938年の映画)|スエズ]]」や「[[世紀の楽団]]」などのヒットによりマネー・メイキング・スターのトップ10に名を連ね、1939年には映画雑誌の人気投票で“ハリウッド・キング”に選ばれるなど、フォックスの看板スターの地位を確立した。しかし本人はステレオタイプ的な二枚目役を嫌っており、新境地を開くために舞台に戻ろうとした事もあったという。<br/ >
また、「スエズ」で共演した[[フランス]]の人気女優[[アナベラ (俳優)|アナベラ]]と結婚するが、後に離婚している。
 
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*『セカンド・ハネムーン』(日本未公開作品)- ''Second Honeymoon'' (1937)
*『[[シカゴ (1937年の映画)|シカゴ]]』- ''In Old Chicago'' (1937)
*『[[世紀の楽団]]』- ''Alexander's Ragtime Band'' (1938)
*『[[マリー・アントアネットの生涯]]』 - ''Marie Antoinette'' (1938)
*『[[スエズ (1938年の映画)|スエズ]]』- ''Suez'' (1938)