「Do 19 (航空機)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m Stifle によってCommonsから削除された Dornier_DO-19_Uralbomber.jpg を除去。理由: Per commons:Commons:Deletion_requests/File:Dornier_DO-19_Uralbomber.jpg.
Shalmaneser (会話 | 投稿記録)
m →‎概要: 内部リンク変更
20行目:
 
== 概要 ==
[[ドイツ空軍]]は有効な[[重爆撃機]]戦隊を保有していなかった。ドイツ空軍の初代参謀部長の[[ヴァルター・ヴェーファー (将軍)|ヴァルター・ヴェーファー]][[中将]]は[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]が長距離[[戦略爆撃機]]戦隊を保有することの強固な提唱者であり、これがヴェーファー将軍下での「[[:en:Ural bomber|ウラル爆撃機]]」計画の推進となった。[[ドイツ航空省]](RLM)の「技術局(''Technisch Amt'')」は4発エンジンの重爆撃機の要求仕様を発行した。しかし[[1936年]][[6月]]にヴェーファーが航空機事故で死亡すると、ヴェーファーの後任の[[アルベルト・ケッセルリンク]]は戦術爆撃機に専念するために長距離爆撃機計画を破棄した。
 
ドルニエと[[ユンカース]]の両社はこの契約で競合し、[[1935年]]遅くに各々3機の試作機の発注を受けた。ドルニエ社の設計はDo.19の番号を与えられ、ユンカース社の試作機は[[Ju 89 (航空機)|Ju 89]]となった。