「赤松氏満」の版間の差分

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→‎子孫の繁栄: 交代寄合は役職ではないので「務めた」はおかしい
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== 子孫の繁栄 ==
氏満の玄孫で[[遠国奉行]](日光奉行)の範恭が[[宝永]]年間に名実共に赤松姓に復し、5千石余の旗本として幕末まで存続。一説には交代寄合務めあったという。
 
幕末の[[外国奉行]]・赤松範忠はこの氏満から数えて10代目(旗本としては9代目)に当たり、[[書院番頭]]も務めた。また、[[享保]]年間の[[勘定奉行]]・石野範種は分家筋の旗本である。江戸後期の[[軍艦奉行]]・赤松範静は範忠の子で、同じく範忠の子(?)の良則の孫が、日本造船の父と呼ばれ、[[男爵]]で[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員の[[赤松則良]]である。