「真珠庵」の版間の差分

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== 文化財 ==
===国宝===
;*大燈国師墨蹟
:巻頭の標題に「看読真詮榜(かんとくしんせんぼう)」とあり、一般には「看経榜(かんきんぼう)」と呼ばれる。その豪放で端正な書風から大燈国師([[宗峰妙超]])の墨蹟中の代表作といわれている。
 
===重要文化財===
*方丈(本堂)
*書院・通僊院(つうせんいん) - 茶室・庭玉軒(ていぎょくけん)を含む。
*庫裏
*紙本[[水墨画|墨画]]竹石白鶴図 伝[[狩野正信]]筆([[京都国立博物館]]寄託)
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*絹本着色十一面観音像 宗峰妙超賛
*一休宗純像 4点
**紙本墨画淡彩一休宗純像 紹仙筆 - 反骨と風狂の禅僧一体の面目をいちばんよくしのばせる一休宗純像で、紹仙(じょうせん)は方丈に障壁画をのこした蛇足の息子だといわれる。
**絹本着色一休宗純像(梅花像) 応仁2年自賛
**絹本着色一休宗純像 自賛(附与宗臨像) - 上部には「風狂狂客起狂風」で始まる自賛が書かれている。
**絹本着色一休宗純像 成化21年張応麒賛
*紙本着色[[百鬼夜行絵巻|百鬼夜行図]] - さまざまな[[付喪神]]系の妖怪変化が夜の道を練り歩く[[百鬼夜行]]の説話を描いた絵巻であるが、詞書きは付されていない。百鬼夜行図としては現存する作例では最古級のものである。
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*南浦紹明(なんぽじょうみょう)墨蹟
*一休宗純墨蹟 6点
**遺偈(ゆいげ) - [[文明 (日本)|文明]]3年([[1481年]])に88歳の生涯を閉じた一休宗純が死に臨んで書した遺偈(高僧が死に臨んで弟子・後世への教訓などを記した漢詩)である。「この世に私の禅を理解する者などありはしない。(祖師の)虚堂和尚がやって来ても半銭の価値もない」という意味の句から始まる。讃仰した中国の祖師・[[虚堂智愚]](きどうちぐ)和尚さえ所詮は半銭の価値もないと喝破した禅境に一休の面目がうかがえる。
**一行書 - 「諸悪莫作(しょあくまくさ)」「衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)」の2幅からなる一行書。[[七仏通誡偈]](しちぶつつうかいげ)の初めの2句を書したもので、「悪いことはするな、よいことをせよ」という意味である。
**徹翁示栄衒徒法語
**題徹翁示栄衒徒法語偈
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[[Category:日本の国宝 (書跡・典籍・古文書)]]
[[Category:京都市の重要文化財]]
[[Category:京都府にある国指定の名勝]]
[[Category:京都府にある国指定の史跡]]
[[Category:日本庭園]]