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当時セレウコス朝の[[アンティオコス2世]]は[[プトレマイオス朝]]と交戦状態にあった。
 
{{cquote|「千の都市の総督」(ラテン語で"Theodotus, mille urbium Bactrianarum praefectus")であったディオドトスは自らを王と名乗ってセレウコス朝からの独立を宣言した。東方諸州は彼に倣い[[マケドニア]]人の王国から次々と独立していった。(ユスティヌス)}}
 
新たな王国は高度に都市化された東方随一の富を誇り、その領域を東西に伸張していった。「バクトリア千市帝国は至上の繁栄を享受した」(ユスティヌス)のである。
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グレコ・バクトリア王国はギリシャ文化圏との地理的繫がりを断たれることになった。これによってバクトリアの陸上貿易は打撃を受けるがギリシャ、[[エジプト]]との海上貿易が発展することとなった。[[紀元前239年|BC239年]]、[[セレウコス2世]]は東方の反逆者を撃つべく挙兵したが、ディオドトスはこれに加勢し共にパルティアに対峙したという(ユスティヌス)。
 
まもなくディオドトスは亡くなり、息子の[[ディオドトス2世]]がパルティアとの講和に成功した。彼はセレウコス2世に対してパルティア国王アルサケス1世と同盟して、セレウコス2世に対峙した。
 
{{cquote|「ディオドトスの死によって同じ名前を名乗る彼の息子とアルサケスの間に盟約が結ばれた。彼らは叛乱鎮圧のためやってきたセレウコスの軍と戦い、退却させた。パルティア人はこの日を独立の日として祝日にしている(ユスティヌス)}}
 
この後、ディオドトス2世は[[簒奪]]者[[エウティデモス]]に殺害され、王位を奪われてしまう。